2017年7月27日木曜日

第9回コミスペ 「エネルギーと人間」

第9回コミスペ 「エネルギーと人間(ビデオ講義:小出裕章先生)」2017.6.16を受けて

Communication Space
 前回の授業ではこれまでの班内でのメンバーの意見のシェアから一歩進んで他班と合同で課題解決に向かって考えるグループワークに挑戦しましたが、初めてだったので戸惑ったグループも多かったようですね。これまではお互いの意見を話し合い、聴き合うというシェアリングでしたから、私と同じだねとか、へえー、そんな考え方もあるのかとか、自分と他人の考え方の同異を知る新鮮で楽しい時間だったと思いますが、グループワークではただ意見を交換するだけで終わらず、お互いの意見の違いを乗り越えて一緒にやれることを探すのが目標です。今日は2回目のグループワークですが、どこまでやれたかな。
 いつものことですが、メールの件名は「コミスぺ」とし、本文の冒頭に自分で「見出し」を付け、末尾に(学部・回生・氏名)を書いてください。( )付きの見出しは、私が付けた印です。締切は月曜17時ですが、なるべく早く。

Q1.今後のエネルギー資源にウランを選択したことをどう思う?

(可採年数の話に驚いた)
 * 授業で石油の可採年数が昔からだんだんと増えているという事実と、それを今まで僕が知らなかったことがとても驚きました。実際石油は無くなりそうという固定観念がありました。ウランと石油のどっちを使うかというグループワークは難しい要因があるのだと思いました。今の電力需要が水力と火力発電でまかなえることに驚きました。(C3)
→ 石油はなくなるからということで日本が原発に飛びついてはや半世紀経ちましたが、石油はまだ半世紀以上もつし、他のエネルギー資源もいろいろあるということですから、もうその嘘は通用しないだろうと思っていましたが、若いみんなもそう思い込んでいたとはねえ。

思い込みの恐ろしさ
 * 今まで自分は原発は良いもの、火力発電所は二酸化炭素を排出するから悪いものとなんとなく思い込んでいました。しかし、今までの講義を受けてこの考えは間違いだと思い知らされました。しっかりとしたデータを用いて自分の頭で考えたらこの間違いには気付くことができます。それではなぜ今までこのことに気付かなかったのかを考えた時、これまで受けてきた教育やテレビCMなど深く考えず、ただなんとなく信じていたんだからだと思いました。そう思った時、国家やメディアの情報操作、そして、「なんとなく」信じることの恐ろしさを感じました。(J1)
→ その通りですね。「石油は無くなるから原子力」も「原発は安い」も「原発はクリーン」も「日本の原発は安全」も、全部、原発推進のためのでっちあげキャンペーンでした。普通の商品ならこんな過剰宣伝は許されないのに、原発は国策だからまかり通ってきたのでしょうが、国民が早くそれに気づくことが必要ですね。

発電と熱損失について
 * 再生可能エネルギーによらない発電方法は、発電時に熱を出し、その熱はロスといわれます。これは火力でも原子力でも同じです。一方で、再生可能エネルギーを用いて発電するときに熱は出ません。(地熱発電は例外)このような基準で考えると、火力と原子力は大同小異であり、この二つの間で議論していてもまとまらないので、熱損失のない発電方法に早く移行すべきだと思いました。(M1)
→ 熱損失から火力も原子力も同じという言い方は間違ってはいませんが、エネルギーロス(投入エネルギーと出力エネルギーの差)という言い方をすると再生可能エネルギーもさまざまです。ただ、原発のように発電時に大量の温排水で海を温めるというようなことはありませんが。

限りある資源
 * 今回の講義で、石油の可採年数について、なぜ年月を経ても可採年数は一向に減らないのか疑問に感じました。技術の進歩によって単純に年々掘り出せる量が増えているのか、それとも経済状況の変化により、昔までは採算が取れなかった油田でも採算がとれるようになったためなのか…  いずれにしても化石燃料は再生不能エネルギーであり、遅かれ早かれ枯渇する日は必ずきます。原発だけを問題視するのではなく、エネルギー事情そのものを真剣に考えていかねばならないと思いました。(H2)
→ 可採年数が延びたのは油田の探索・発見が最大の理由です。天然ガスやオイルシェールも同様です。しかし、これらがいずれなくなるのは間違いありません。再生可能エネルギーの開発でその枯渇分がどれだけ賄えるかはわかりませんが、電力需要が増え続ければそれも無限に賄えるはずもありません。貞広君の言う通り、エネルギーの供給側だけでなく消費側も真剣に考えていかないといずれどうにもならないでしょう。

原発 (デメリットの方が大きい)
 * 原子力発電は火力発電に並ぶ発電量の発電方法だと思っていたのですが、ウランの量が大変貧弱なものであるということを知り驚きました。政府が原発を採用したのは原発にメリットがあると考えたからだとは思いますが、やはり原発にはデメリットの方が大きいと感じます。(J1)
→ ウランが資源としては少ないことくらい、原発を選んだ時に分かっていたはずで、だから高速増殖炉で燃料をリサイクルして夢のエネルギーなどと宣伝したのでしょう。しかし、その核燃料サイクルが破綻したのですから、今や原発の最大のメリットはなくなったも同然ですよね。

原発の可否 (全廃したら労働者は?)
 * 今回の授業の予習、ビデオ講義を受けるまで、私は原発があってもなくても割とどちらでもいいかなと思っていました。たしかに大きな事故はあったし、廃棄物の問題などもあるけれど、発電所として動かさざるを得ないなら、慎重に運用すれば、原発はあるべきだとする人たちの意見にそれほど反対もできないなと思っていました。ですが、実は原子力は化石燃料と比べてもそれほど圧倒的なパワーや埋蔵量がなく、国のエネルギーも原発を稼働するまでもなく足りているというデータを見て、危険なものをあえて動かす理由が無いという考えになりました。ただ、もし原発が全廃となった場合、今原発関係で働いている労働者の生活やそれからの別な労働について誰がどこまで保障しきれるかは非常に大きな問題になってくると思います。(J1)
→ 第7回のディベート振り返りの際に言いましたが、日本は原発以前に石炭から石油、そして原子力へとエネルギー政策の大きな転換をやってきました。その過程で最大時で40万人を超えていた炭鉱労働者は他産業へ移っていったのです。現在の原発で働く労働者数については下請けまで含めたデータはありませんが、放射線作業従事者は7万人程だそうですから、その大半が原発関係だとしても炭鉱労働者の時に比べれば少ない方ですね。ただ、放射線作業に従事しない人も相当いるでしょうから、10-20万人くらいでしょうか。でも、炭鉱労働者のときにやれたのですから、やれないはずはありません。誰がとなれば、当然、まずは国と電力会社でしょうね。

Q2.原発施設を都会に作ったらと言われたら?

「原発を都会につくる」 (原発事故が避けられないから反対)
 * 僕は都会に原発を設置することには反対である。なぜなら、福島で起きたような事故が今後も起こらないとは断言できず、また都会で原発事故が起きれば、経済損失や、国民への被害は計り知れないからである。確かに、今回の原発事故は安全対策を怠ったことによる人災であり、対策がとれていれば事故は防げたという意見もある。しかし、そのミスが今後一切起きないという保証はない。(M1)
→ うん、たしかに都市部で原発事故が起きれば大変ですが、過疎地なら良いという理由にはならないのでは?それに再稼働後の原発は規制が厳しくなったからもう安全だと言ってますよ。

原発を作る場所 (事故時のリスクが高いから作れない)
 * 原発は都会に作れないと思う。なぜなら事故を起こした時のリスクが高いからだ。都会は人口が多く、重要な施設が多い。しかし、だからといって人口の少ない地方ならいいわけではない。地方にも地方の人々の暮らしがあって、原発の犠牲にしてはいけない。原発をどこに作るかは非常に難しい問題だと思った。〈C1〉
→ 火力発電所でも事故は起こりますが、ほとんど消費地の付近に作られていますよ。原発事故のリスクが比較にならないほど高いというのなら、どこに作ってもいけないということになりませんか。

(事故時の被害を考えると作れないけど、過疎地ならというのも?)
 * 原発は福井や福島など比較的に田舎の方に作られていて東京や大阪などの都会には作らなかったという話で、やはり都心の方につくると反対意見が圧倒的に多くなると思うし事故時の被害が福島の時とは比べ物にならないくらい大変なことになるんじゃないかなと思いました。けれどもだからといって人が少ない過疎地域に原発を作ればいいというのはその地域周辺に住んでる人たちの意見を尊重していないし、そういう考えは間違っているなと私は思いました。(J1)
→ 反対するのは人口の多い都市部の人ですから、反対意見の数が多くなるのは当然ですよね。しかし、その反対意見は過疎地に作れと言っていることと同じですから、やはりおかしいですよね。

過疎地の負担 (過疎地ならかまわないのか?)
 * 今回の授業の中のQ2 原発施設を都会に?について班で話し合った際、私は都会には人が多く住んでいるので、もし事故が起きた時甚大な被害が生じるから、原発施設を都会に建てるべきではないと主張しました。しかし同時に自分の主張は、人が少ない過疎地なら事故が起きても構わないということになるのではと感じました。実際都会である大阪に住んでいる私たちは過疎地の原発施設のおかげで電力を膨大な量使用することができており、いかに自分が日頃からそのことを意識せず生活していたのかと気付かされました。原発を無くし過疎地の負担を減らすためには私ももちろん一人一人が電力、エネルギー問題にもっと敏感になる必要があると思います。(J1)
→ 話し合った甲斐がありましたね。いかに過疎地に原発を追いやってるかは、原発の立地地図を見れば一目瞭然ですよね。
1974年の電源三法が原発立地策の起点
 原発を地方に押し付けることになった起点は『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、1972年)を推進した田中角栄首相の時代です。1972年から74年まで首相を務めた田中氏は、この書の中で「工業の全国的な再配置と知識集約化、全国新幹線と高速自動車道の建設、情報通信網のネットワークの形成などをテコにして、都市と農村、表日本と裏日本の格差は必ずなくすことができる」と書き、国土改造計画を進めました。
 その中で、原発については、「放射能の安全性に対する疑問や自然環境が壊されるという心配、さらに温排水で魚がとれなくなるという漁民の反対などから立地が困難になっている。このような問題を解決しない限り、電力需要のひっ迫を解消することは困難である」と理解を示しながらも、「生み出される電力を大規模工業基地で使う」「同時に、基幹的な超高圧送電網を作って消費地に配分」「過疎地域では税金を免除し、それによる市町村財政の減収分は交付金で補てんする」「発電所をつくる場合は、住民も利用できる道路や港、集会所などを整備する」とし、その後の過疎地への原発立地策を暗示しています。
 実際、1974年6月には、発電量に応じて発電事業者に課税し、発電所を受け入れた自治体への地方交付金とするという電源三法(電源開発促進税法、電源開発促進対策特別会計法、発電用施設周辺地域整備法)を成立させ、それが以後の原発立地策の起点となりました。田中首相の「都市集中の奔流を大胆に転換して、民族の活力と日本経済のたくましい余力を日本列島の全域に向けて展開する」とした「日本列島改造論」は、結局、都市と地域の格差を拡大するという皮肉な結果として終わったのです。

大阪に原発?
 * 自分は大阪に住んで14年になるが、今日のグループワークまで大阪に原発ができるかどうかなんて考えもしなかったし、想像したこともなかったので、面白かった。
 今後、原発の規模を拡大するか、はたまた縮小するかわからないが、拡大した場合に、そんな可能性があるのか?ということは興味深いことだ。(C1)
→ 1986年に『東京に原発を!』(広瀬隆、集英社文庫)という本が出ています。その序章には次のような文章があります。学情にあると思いますよ。
『東京に原発を!』という本の序章から
 「ある人は、この本の題名を見て、オヤッと思ったことだろう。
 これまでの常識では、原子力発電所は人口の少ない海岸に建設されることになっていた。
 それを東京に持ってこようというのである。
 電気はその大部分が大きな都会で使われている。
 大都会のド真ん中に原子力発電所を建てれば送電線やかずかずの変電所が無用になり、さまざまな面でエネルギーの効率が高くなり、金銭的には莫大な利益が生み出される。
 これが近代に求められている<自給自足の原理>である。
そのようなことが可能だろうか。もちろん、可能である。
可能だができない。という現状の結論は、原子力関係者が何かを恐れているからだ。」

 Q3.福島事故後、原発ゼロでもやれてたが、今後は?

不思議 (小出先生の言葉に思う)
 * 小出先生の「悲惨を極める原子力発電所」の中に出てきた「福島原発の悲劇を見ながらそう思うこと(原発の即刻全廃)ができない人がいるとすれば私は不思議です」という言葉が印象的だ。たしかに、不思議だ。しかしちゃんと現実と向き合っていないから原発を讃えるのだろうか。いや、現実にはもっと複雑だろう。この複雑な現実をとらえるのはきっと私の所属する社会学であったり、あるいは政治学、歴史学かもしれない。文系学部の役割もあるだろうと思うのだ。それぞれの学問分野の視点でそれぞれに捉えた現実を照らし合わせ、合意のもと判断を下す。これはそんなに簡単な話ではないだろう。しかしそうやって社会が回ればいいのにと思う。(L2)
→ その通りですね。小出先生の「不思議」論の前提には「福島原発の悲劇を見ながら」とあります。はたして国民のどれだけがどこまで見たと言えるのでしょうか。「ちゃんと現実と向き合っていないから」とも言えますが、一般の人たちが原発をどう思っているかは様々な要因で左右されてきたはずですから、社会の複雑な事象を解き明かすのはまさに文系の出番ですよね。

日本の原子力推進政策の問題点
 * 原発は熱効率が33%と効率が悪く、また、原子力で利用されるウランは再生不能エネルギー資源のうち埋蔵量が他の資源に比べて少なく、さらに、ウランを燃やすことで毎日原爆3~4発分に匹敵する核分裂が起こり、大量の放射性廃棄物が生み出されるという多くの問題点を抱えているにもかかわらず、日本は原子力の開発を推進する政策をとっている。特に東日本大震災による福島第一原発事故以降、海外では原発の安全面に不安を感じ、原発の廃炉に向かう国もあった一方で、日本では、事故を起こした東京電力は責任をとろうとせず、原発の開発を続けている。また、原発は過疎地に多く、都市部に住んでいる人々はなかなか実感できないが、実際電気を多く消費するのは都市部の人々である。このことから、日本では、消費者が無関心であり、原発に関する正しい理解もないまま、事故が起こっても当事者が何事もなかったように開発を進めていると言うことがおかしいと思い、人々が理解しないうちは原発稼働をしても問題点が残るため、それならば、稼働しない方が安全ではないかと考えた。(S1)
→ 稼働しない方が安全というのはその通りですが、上の足達さんが書いているように、なぜそれが出来ないのかという「不思議」に向き合うことが避けられませんね。
 (エネルギー浪費が一番問題なのは同意できるが、寿命は…)
 * 第9章を読み、一番問題なのは現代社会のエネルギー浪費であるという主張には共感しました。挙げられたデータから想像してみると、原発を停止して多少電力不足が起こったとしてもすぐに浪費分が見直され調整されるのではないかと思えます。ただ、筆者は寿命の延長に役立つか否かという点からエネルギー消費量が無駄かどうかを判断しているようですが、寿命が延びたことによって生まれる問題は必ずあり、その改善のためにエネルギーが必要になる可能性は考慮されるべきだと考えます。(L3)
→ エネルギー消費の増大が浪費になっていないかということを示すには、本当は人間の満足度や幸福度で示せればよいのだと思いますが、そんなデータはないですからね。寿命の延長に役立ってるかどうかも浪費を象徴する一つのデータくらいに受け取ってください。寿命が延びれば医療や介護をはじめ必要なエネルギーも増えるのはその通りですが、うなぎ上りに増える消費エネルギーの割合としては大したことないでしょうね。

電力需要は増えていない (2000年以後の伸び方の激減)
 * よく電力が足りないから原発は必要だという言い方を電力会社はよくしていますが、個人的には電力が足りていないという感覚は全くしません。実際原発が全て停止した夏でも、電力が足りなくなり停電したことはありません。
 そして、授業で紹介された発電設備容量と最大需要電力量の推移のグラフを見てみると、電力が足りていないということもありませんし、2000年頃から電力需要が上がっていないとことがわかります。教科書には「特に2008年のリーマンショック以降は電力需要が激減しており」と書いてありますが、その理由は一体何なのでしょうか? 会社がたくさん倒産し、電力需要が減ったことが原因なのでしょうか。もちろん、それもあるとは思いますが、個人的には全国的な節電志向の高まりで、家電のメーカーなどが電力をあまり消費しない商品を開発していることが大きいと思います。そう考えると、これから電力需要が大きく増加するのは考えにくいと思います。(J1)
→ 2000年以後、電力需要の伸び方が激減したのは、たしかに経済不況の影響もありますが、大きいのは地球温暖化問題を契機に始まった気候変動枠組条約(1992年)のCOP(締約国会議、1995年開始)の影響です。1997年のCOP3(京都会議)は有名ですが、その後も毎年開かれていて、電力消費効率の向上や節電が進んだことは事実です。しかし、欧州諸国の積極度に比べてアメリカや中国など世界最大の電力消費国が消極的なのは周知の通りで、日本も例外ではありません。これまでより電力需要の伸び方が緩くなったとはいえ、止まったわけでも減ったわけでもありませんから、問題が先送りされただけだと言った方がよいでしょうね。
 「止められない」科学技術の発展
 * 人は新しい技術を手に入れれば、その可能性にばかり目を奪われ、持続性やリスクを忘れて見切り発車してしまうものなのですね。まるで新しいおもちゃを手に入れた子どものようです。それを扱う人類が未熟なまま、技術ばかりが発展しているような印象を受けました。(T3)
→ 技術もお金になる技術はもてはやされて発展しますが、安全対策や廃棄物対策などすぐに利益を生まない技術は置いてきぼりですよね。技術の中でもその差が大きいのにも注目してください。

発電のデメリット (原発のデメリットは大きすぎる)
 * 今週のテーマはエネルギーと人間でした。原子力発電のディスカッションをするまでは、私は原子力発電と火力発電のデメリットは知っていましたが、他の発電方法はあまり知りませんでした。しかし、調べていくうちに水力発電や風力発電にもコスト以外の問題があることがわかりました。すべての発電方法にメリットとデメリットがあることはわかりましたが、それを踏まえても原子力発電のデメリットは大きすぎると感じました。(M1)
→ 多分、どんなものでもメリットとデメリットはあるでしょうね。原発は半世紀かかってもアキレス腱のデメリットは克服できませんでした。火力発電は技術的には原発のようなアキレス腱はありませんが、資源問題でいったん窮地(今はかなり時間的余裕が出来ましたが)に立ちました。再生可能エネルギーによる発電も当然デメリットはつきものですが、まだ開発の期間も短く投資も少ないですからやってみなければわからないというところでしょうか。それらを総合的に見比べれば、原発のデメリットが大きすぎるのは事実ですね。

電力問題 (節電意識の向上が重要)
 * 東日本大震災が起こった直後、原子力発電はすべて停止した。しかし、その年、翌年と電力はまかなうことができた。今現在原子力発電は数基稼働しているが、これから先その電力が本当に必要なのかを考えた。これから先は、電気自動車やオール電化などにより日本の電力需要は増加すると考えられる。原子力発電を稼働させることなしに、増加する電力需要に対応するには国民の節電意識が欠かせない。近年では自家発電なども普及してきたが、まだ十分な節電意識があるとは言えない。国民全員の節電意識を向上させるにはやはり電気代の上昇しかないのだろうか。(M1)
→ 節電意識の向上が重要との認識は同感ですが、オール電化はそれと矛盾しませんか? 昔、高度経済成長期には、カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car)の3Cが三種の神器と言われましたが、国民の消費意欲を高めることで経済成長を後押ししたことのつけ(公害など)を考えると、すべてを電気に頼る社会の在り方も見直すことが不可欠だと思いますよ。この8号館が建つ前の3号館の時代は、教室に空調などはなく、扇風機が回っていたんですよ。
 電気代を上げて節電意識を刺激するというのも面白い発想ですが、原発が後始末の費用を国任せのままだと、他の発電と不公平になりませんか。

GW.三陸ワカメと鳴門ワカメ、どちらを買う?

危険だから安全? (三陸産の方が安全かも。逆転の発想も?)
 * そもそもワカメはあまり好きではないという前提は置いといて、私は三陸産のワカメを買います。復興支援とかの判官びいきの気持ちもありますが、単純に安全性の逆転現象があるのではないかと思うからです。一見原発事故の起きた地域のワカメの方が安全性が低いと思われがちな気がしますが、その社会の厳しい目に晒されて尚、販売できるということは通常以上の安全ラインを突破したことになるのではないかと思います。そう考えると三陸産は鳴門産よりも安全(安全の逆転=危険だからこそ安全)だと考えました。
 また一方で、極論含みますがあえて鳴門産を買って、三陸産の縮小を進めることで、三陸地方の産業の展開を促すことが出来るのではないかとも思いました(ワカメが売れない→どうしよう。焦り→新しい産業の模索、展開へ→産業発展の兆し)。空想の域は越えませんが、あえて修羅場を作り出すことで新しいことに展開できるいい機会になるのではないかなと思いました。(C4)
→ いやあ、面白いですね。市場に出すには含有放射能値の基準をクリアーしなればなりませんから、その基準値を信用できないという人は別として、一応世間的には安全ということですよね。
 逆転の発想もありでしょうが、それは敦賀の原発を廃止して新産業をというのと同じですから、産業転換に伴う労働者や漁民への支援を国や県が積極的に行う必要がありますよね。

(三陸産ワカメを選ぶ:復興のため。福島産の食品だけを避けられる?)
 * 今回三陸産のワカメか鳴門産のワカメどちらを選ぶかという問いがありました。人それぞれ意見が違いましたが、私は3割安い三陸産のワカメを選びます。安さは勿論ですが、私が考えたのは福島の復興についてです。福島の産物を買わなければ、いずれその産業は衰退してしまいます。そうすると福島の復興(もうすでにかなり復興しているのかもしれませんが)も遅れてしまう。それはよくないと思ったのが一つの理由です。また、2つ目の理由としては、将来食べるものの中に福島県産のものは避けられないだろうということです。すべての人がそう思うことはないと思いますが、少なくとも私はそう考えました。(J1)
→ 復興のために積極的に被災地の物品を買おうというのは純粋な支援の気持ちの表われですよね。それに今だからこそ産地を気にするかもしれませんが、何年か先なると次第に忘れてしまう人も多いと思います。
 (時間が足りなかった)
 * 今日の話し合いで私たちの班は三陸産を食べる人と鳴門わかめを、食べる人とでわかれました。
  三陸産を食べる人の理由は、事故から時間が経っている、国産だから安全、復興のためということがありました。
  鳴門わかめの人は安全性が信用できない、害がある可能性を選びたくないというものがありました。
  いつになったら買うのかということについても話し合いました。
 時間が足りなくてあまり話せなかったので残念でした。周りの人の意見とかが自分と違ってとても興味深かったです。(J1)
→ 今回は2班合同にしましたので、4-5人になりましたから、みんな同じ答えというグループは少なかったでしょうね。三陸産を選んだ人は「安い・市場に出てるから大丈夫・復興に役立つ」という理由が多く、鳴門産の人は「検査が信用できない・より安全を求めて」だったことでしょう。問題は三陸産の風評被害をどう考えるかですから、三陸産ワカメの安全性についてもう少し意見交換をして解決策を話せるとよかったのですが。

グループワークをして (授業後、調べてみた)
 * 久々の投稿です。ワカメについての議題は私にとって身近でした。私の班はコスパの面や、安全性が確保されているものが店頭で売られているだろうという面から三陸産派が多かったです。でも、私は少々高くても鳴門産を買ってしまうと思います。昔、徳島に住んでいて鳴門産のワカメに親しみがあるという個人的な理由もありますが、やはり三陸と聞くと危険なイメージを持ってしまうからです。そこで授業後、少し調べてみました。水産省の「水産物の放射性物質の調査結果について」によると、三陸ワカメに関しては、事故後の放射能の検出は1月27日で0.54Bq/Kgしかないそうです。また、様々な条件の元、検査体制や精度、抜き取り検査の問題もあることが分かりました。そして、最新のデータもワカメのみならず水産物に関して数値が示されていました。また、福島や宮城のいくつかの魚種は出荷を制限または自粛しているので、安全が確認された物を消費者に届けているのだとわかりました。風評被害大きいなら、スーパーなどでも検査基準や安全確認についての貼り紙をして消費者に知らせたらいいのではと思いました。(E1)
→ 授業後に調べてみたのは立派です。基準値についての議論は残っているとしても、放射能値の高いものはチェックされて市場に出ていないことは事実ですよね。貼り紙については、福島産を強調してしまう逆効果もあるので、多分しないのだと思いますよ。

三陸産のワカメを買うか否か
 * 私のグループでは、三陸産のワカメを買うかどうかの争点は、安全だという説明の受け止め方でした。買ってもいいという人は、店頭に並べることを許されたなら問題ない、従って安い三陸産を買おうと考え、反対派の人は商品に原発事故の近く、というイメージが纏わり付いて美味しく食べられない等の気持ちの問題が検査だけでは解消されない、という考えでした。安全だということは承知しているが安心できない、安心を追い求める時に科学的指標とどう向き合うかが課題であると思いました。(J1)

グループワーク (難しい問題)
 * 今日は、2班で話し合う時間があり、いつもより多くの人の意見を聞きました。でも、意見がでたあと、皆で話し合いながら考えを深めていくことがなかなかできませんでした。
 私は、鳴門産ワカメを選択する側でした。値段が安いから、かえって不安に思ってしまうからです。しかし、値段を安くしないと買ってもらえないという状況もあり、難しい問題だと思いました。(J1)

 安全性で受け止め方が分かれた場合、どうするか?
→ 安全性の問題では、ほとんどのグループで、市場に出る限り大丈夫だろうという人と基準はクリアーしていても微量放射能がある限り安心できないという人に分かれたことでしょう。グループワークの報告書を見ると、どのグループもそこで話が止まってしまったようで、では三陸産ワカメの風評問題をどうするかというところまで話し合った班はほとんどなかったようですね。
 まず、市場に出回るには放射能含有量の暫定基準値をクリアしなければならないのですから、ひどい汚染のワカメが売られていることはないという点ではお互い一致するでしょう。
 では、基準値以下でも微量放射能の影響はゼロではないのだから食べたくないという人の意見についてどう考えましょうか。影響がゼロではないのはその通りですが、その影響の程度は年齢によって大きな差があることも知られています。だとすれば、安全性を考えれば妊娠中のお母さんや胎児や幼児には三陸産を避けるということでどうでしょうか。成人になれば他の病気や事故に遭う確率の方が高くなりますし、私のような高齢者にいたっては問題にもなりません。小出先生は「R-60」指定(60歳未満は食べることを禁止)のステッカーを貼ればという提案(『原発はいらない』150頁)も書いておられますが、「R-50」でもいいよという声もあります(笑)。
 安全性を心配するなら、関西の人たちにできることは他にもあるでしょうね。例えば、鳴門ワカメを現地の子供たちのために送ってあげ、成人以上の私たちの食用には三陸産ワカメを買うとかもね。
 ついでですが、実は三陸ワカメは大震災によって壊滅的な打撃を受け、その再生のために徳島県から苗の提供を受けるなど全国からの支援のおかげで回復したのですよ。コスパで三陸産の方を買うという人も多かったですが、三陸産ワカメが前より安くなったのは、大震災で三陸産ワカメの生産がストップしている間に格安の韓国産と中国産の輸入品に客を奪われてしまったという影響もあるのですよ。

GW  (司会者と書記はグループワークでは大切な役割)
 * 今回、初めて授業で他の班と合同でGWをやって、意見を出しあうまではよかったが、その後の出た意見に対する活動があまりできなかったのが残念だった。次は早く司会役を決めて最後までしっかりとやりたい。(T1)
→ 課題解決法を考えるグループワークでは、司会者と書記の役割が重要です。ただ回すだけでなく、出た意見の中から課題解決につながる意見を抽出し、みんなで考えるようにもっていくファシリテーターの役割を認識してください。書記は司会者のサポートも心がけてください。

グループワークをして (次の機会には頑張ろう)
 * 今回初めて2班でグループワークをしてみて、いつもは班の人との意見交換しかしていないので新鮮でした。
 まず、震災の後から三陸産のワカメが安くなっていることを初めて知りました。私は迷わず三陸産のワカメを買う派だったけど、意外と意見は割れて、自分と違う意見も聞いててなるほどと思いました。
 でもあまり深くまで話し合えなかったのが反省点なので、次またこのような機会があったら頑張ろうと思いました。(J1)
→ 課題解決型のグループワークは今回が初めてでしたから戸惑ったでしょうが、今日もありますので、慣れてくださいね。

(なぜ? じゃ、どうする?)
 * 今回の授業では、ゲスト講師の小出裕章さんの講義ビデオをみて学び、そのあと2班ずつで合同のグループワークをしました。講義では小出先生は今の状況なら原発をなくしてもよいという意見をお持ちですが、電力需要に絞って考えると一口にその意見には賛成できないと思いました。
 またグループワークでは、私は三陸産ではなく鳴門産のワカメを買う側に立ちました。意見を交わすまでは安全性を優先して絶対鳴門産が正しいと思っていましたが、グループワークを経て、被災地の復興の観点も含めると、三陸産を買う側の主張も一理あると感じました。(J1)
→ 「一口に賛成できない」と抽象的な表現だけで終わらず、なぜかを説明するようにしましょうね。
 今回のグループワークも各自の意見のシェアだけでなく、一緒にやれることを探す課題探究型ですから、「一理あると感じた」で終わらず、もう一歩、じゃどうするかまで考えましょうね。

人の意見 (みんな、立派)
 * グループワークの意見を聞いたりコミスペを見たりして、みんな立派なことをしっかり考えてるな、といつも驚きます。自分の語彙力と作文力の低さにあきれています。コミスペは人の考えや物事の見方がよく分かって面白いので見るのがいつも楽しみです。私も新聞や本をたくさん読んで、語彙を増やしたいと思いました。 (N1)
→ いや、あなたのいつものコミスペも素直で、みんなの思いを代弁してくれてるように思いますよ。

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