第8回コミスペ 「原発で働く労働者」(2017.6.9)を受けて
Communication Space
前回授業の最後に、この授業ではコミスペも双方向型授業の大事な要素だよと念を押したせいか、投稿数は復活しましたね。うれしいことなのですが、コメントを書く身になると自分の首を絞めているようで…(笑)。
いつものことですが、メールの件名は「コミスぺ」とし、本文の冒頭に自分で「見出し」を付け、末尾に(学部・回生・氏名)を書いてください。( )付きの見出しは、私が付けた印です。締切は月曜17時ですが、なるべく早く。
今回のコミスペでは、放射線による「被曝」を「被爆」と書いている人が目立ちましたね。「被爆」は爆撃による被害を指すので、原発の場合は「被曝」と書きましょうね。ここでは直しておきましたが。
授業を受けて
意外な予習効果
* これまで毎回の授業で予習をしてきました。教科書は普段読む本とは違って一度通読するだけでは理解できない内容もあって、さらに量も多くて正直大変でした。また読むだけでなく、その章の要約もする必要があり、時間がかなりかかっていました。しかし、最近ではあまりしんどく感じることが少なくなりました。読む速度も速くなったし、一度読むだけで大まかな要旨は理解できるようになりました。ようやく作業に慣れて要領が掴めてきたのだと思います。難しい文章を読むのが苦手だった自分の中では大きな成長だと感じています。こんなところにも効果が出て来るとは驚きでした。(M1)
→ 予習はどの授業でも言われているでしょうが、実際はやっていない人が大半でしょうね。この授業では「予習カード」の提出で出席に代えていますので、出さないわけにはいかず、予習が受講の前提となっています。最初は大変だったかもしれませんが、慣れれば予習の仕方も会得でき、その効果を実感したという人が増え、私もうれしいです。
(核兵器廃絶への戸惑い)
* 科学者が純粋に科学を探求して発見したことを戦争の兵器に使ってしまうことが悲しかったです。核兵器を日本から無くしたいと思う気持ちともし核兵器を完全に無くしてしまうと他国から簡単に責められるのではないかという気持ちの両方があり、何が正解なのかわからなくなりました。(J1)
→ 教室授業のテーマは「原発で働く労働者」でしたが、要約の第7章が「原子力の光と影」だったので、核兵器のことを考えたのですね。よく「パンドラの箱」に例えられるように、原子力が核兵器を生み出したせいで、箱に戻すこともできず、広島・長崎から最近の北朝鮮の問題に至るまで、戦争を終わらせるためだとか、他国から守るためだとかいう核兵器必要悪論が今も絶えませんね。しかし、核兵器が人類自滅への道を開くことだけは正解なのではないでしょうか。
(毎回の授業を受けて思ったこと?)
* 何回の授業を受けて思ったことは間違えたを認めない国や会社は子供以下でおると思った。なぜかと言うと一概にすべての子供は100セントと言えないが、間違えが指摘されたら素直に認め、謝るからである。私たちには子供のような素直が必要であると考える。(L2)
→ 前にもコメントしましたが、投稿する前に誤字脱字や文章をよく推敲してください。「国や会社は子供以下」と切り捨てるだけでは何も変わりません。なぜそうなのか、どうすれば改めることができるのかを考えるのが、子供と違う大学生に求められることですよ。
問題の共通点
* 今回の授業は、原発での労働者の内部被曝についてでした。この内部被曝の事故と水俣病などの公害には共通点がありました。それは、住民よりもそこで働く労働者のほうが先に被害に遭うが、上の立場にある人間が責任を負おうとしないことです。労働者にも健康でいる権利はあるのに、それを主張することは難しい現状があります。これはこの授業で教わった様々な問題に共通しているので、先生が授業を通して教えたかったのは、こうした社会の問題があり、解決策を探していかなければならないということなのではないかと思いました。(M1)
→ その通りです。なぜ?どうすれば?を考えるのがこの授業の目的です。住民と労働者のどちらが先に被害に遭うかは第5回でやったようにケースによりますが。
(レポートで感想文はNO?)
レポートの件なのですが、感想文はNGって書いていましたが、どうしても少し感想は入ってしまうような気がするのですが、どうしたらいいですか? (C1)
→ 感想文だけではNGと言いましたが、感想が入っただけでNGということはありませんから、ご心配なく。
授業も中盤に…
* 気がつくとあっという間に全授業の半分がもう終わっていて驚きました。読書ノートのために、「裁かれるのは誰か」という本を読み始めました。しっかり読んで、要約し、自分の意見もしっかり書けるように頑張ります。また、そろそろレポートにも手をつけなければいけないなと思い、焦り始めています。(J1)
→ セメスターというのはわずか3ヶ月ですから、早いですよね。後に悔いを残さないように、一回一回の授業を自分のものにしてください。『裁かれるのは誰か』は1995年10月に出された原田先生の著書ですが、この授業の前身の「公害と科学」を始めた2年目で、来ていただいたときにサイン入りでいただきました。大切なことが読みやすく書かれていて良い本です。
今なら、岩佐さんは救われたでしょうか?
この質問は、前回の教室で最後にやった班での話し合いのお題ですが、教室で直後に手をあげて自分の意見を言ってくれた人からもらったコメントカードを先に紹介し、その後、コミスペからの意見感想を紹介します。
(社会の理解も進んだから救われたのでは)
* 当時は原発は安全であり、事故なんて起こるはずがないというような神話があったために岩佐さんの主張が社会や司法に届かなかったのだと思う。しかし、チェルノブイリや福島の事故を経て、原発事故や労働者の被曝はある意味で常識であるという風に社会の理解も進んだために、現在であれば岩佐さんは救われたのではないかと考える。(J1))
→ たしかに当時に比べて原発に対する社会の理解は進んだはずですよね。でも、1ミリレムと2年3か月の棄却理由をどうすれば覆せるかな?
(反原発の市民運動も盛んになったから救われたのでは)
* 2011年、福島第一原発事故後には反原発の市民運動も盛んになった。世論が大きく動いたことを示していよう。今なら、岩佐さんを支える地盤があり、救うことができると考える。(L2)
→ 岩佐さんの当時は核実験反対運動が中心でしたから、反原発の市民運動はたしかにマイナーでした。でも、労災認定や裁判は市民運動で決まるわけではありませんから、それをどう反映させるかも考えないとね。
(情報が広がったから救われたのでは)
* メディアによって情報が広がって、世間に広まるだろう。(E1)
→ たしかに原発に関する報道は今ならたくさんありますからね。でも、自分たちに都合の良い情報と都合の悪い情報を選り分けるのは常套手段ですから、それをどう突破するかも考えないとね。
(国や電力会社は補償を避けたいから今でも難しいのでは)
* 1人の労働者に対して補償をすることで全ての労働者に対して補償をする可能性を生み出してしまう。国にとってこれらの負担をすることは避けたいことだと考えたので、いくら世論が影響を強めても補償させることはできないのではないだろうか。(M1)
→ 補償に対するガードが今も厳しいのは水俣病で見た通りですから、原発でも同様だろうというのはその通りですが、それじゃ何も変わらないということで身も蓋もないですよね。授業後、このM1君とは交歓会でも議論しましたが、その後、下記のコミスペを出してくれました。
(声をあげ続ければ・・・)
* 今回の授業では岩佐さんが現代の社会において補償されるかどうかという質問があったので、それについて書きたいと考えました。僕の考えでは岩佐さんが現在でも補償されることは難しいと考えます。何故ならば、岩佐さん一人を補償することによって原子力発電所で働く従業員の方々一人一人、さらには原子力発電所の事故で被害を受けた人々が被害を訴え始めることを誘発して補償の金額が莫大なものになる可能性があるため、いくら人々が声をあげても、補償を行う国の動きが慎重になることは確実だと思うからです。しかしこの半世紀で原子力発電に対する人々の考え方が変化した事はとても大きな事であり、原子力発電の正当性を問うためにも原子力発電に対して懐疑的な姿勢を保って実際に声をあげ続けることが大きな成果をもたらすと感じました。(M1)
→ 最初、国の姿勢は変わらないだろうということでしたが、被害者や国民が声をあげ続けることで変えられるのではという話に納得してくれたようですね。浜岡原発の嶋橋さんをはじめ、その後認定された人たちはその声(支援)に支えられたからだと言えますよね。
以下はコミスペからです。
授業を通して
* 授業を通じて、『人が集まって出来たのが組織だ』ということを教えていただきましたが、まだ組織全体を悪いものとして考えてしまっているなと思います。1人1人の考え方が変われば組織は変わるでしょう。しかし、それには時間がかかり、今困っている人たちは報われません。そのことを考えるとやるせないなと思いました。(J1)
→ J1さんも参加した交歓会では、行政という組織とそこで働く人の考え方は必ずしも同じではないことが話題になりましたが、その最後に、J1さんは中の人たちの努力で組織が変わるには時間がかかるから、目の前の人を救うのには間に合わないというジレンマを語っていましたね。岩佐さんの例はまさにその通りですし、裁判で棄却の確定判決の後、新しい判例が出てもやり直しはできませんものね。世の中、最初の人の犠牲のおかげで後の人たちが救われたというのは歴史の示す通りですが、最初の人の多くは後の人たちのためにと頑張ったと言われており、私たちにできるのはその人たちへの「感謝」と「忘れない」ことでしょうね。
(今なら世論の支えもあると思う)
* 今回の授業を受けて、今なら岩佐さんの訴えは大きなニュースになり原発反対という世論の支えもあると思うので裁判で原因が原発であることを完全に否定されるようなことはないと思います。問題となるのは、福島の原発事故が起きるまで、もちろん万博の時の原発が夢のエネルギーと考えられてた時代から比べると原発の危険性や隠蔽体質は問題視されてきましたが、そこまで危険でこれからの未来にも大きな影響を及ぼすものであると社会的に考えられてこなかったことだと思います。これからの時代、科学の進歩によって様々なものが開発され世に出てくると思いますが、専門家の安全であるという言葉を鵜呑みにするような世論の風潮に流されては行けないと思いました。(M1)
→ 裁判では主張を裏付けるための証拠が必須ですし、直接証拠に比べて状況証拠だけでは立証能力が不十分なので、1ミリレムの件は今でも難関でしょうね。でも、司法も世論を無視できませんから、当時よりは丁寧な審理にはなったでしょうね。
原発への理解
* 今回は他の班の方と合同でやらせてもらいました。私とは違う考えで、説得力があって私も見習おうと思いました。
東日本大震災が起きた日本では、原発に対する理解は昔よりも深まり、被曝問題への国民の理解は得やすいのではないかと考えました。被曝の隠蔽や検査結果の隠蔽など、考えるととてもはらがたちます。(N1)
→ 事実の隠蔽や記録の改ざんまでやられると、徒手空拳に等しい労働者にとってはどうしようもありませんよね。社内の良心ある人たちの勇気や、行政・司法による調査や提出命令などの発動が期待されます。それを支えるのも国民の声ですが。
原発運営体質に関して
* 原発作業の労働者に労災認定が下りた今なら、岩佐さんは救われたでしょうか、という問いに関して、素直に救われたと答えるのには違和感を覚えました。医療費などの手当ては支給されるようになったのは確かですが、その後も重大事故の隠蔽が相次いだことを考えると、同じような被害に遭う作業員は後を絶たないと考えたからです。原発作業の危険性が認知されるだけでなく、政治利権と絡み民主的な運営が出来ない原発の現状を見直す必要がある、それが福島原発作業員の訴えとも重なる部分のように思えます。(J1)
→ 原発での被曝労災は岩佐さんの後から認められた事例が出てきましたが、たしかにまだ少数です。さらに、福島事故後は、一時、被曝線量限度を250mSvまで引き上げたくらいですから、体質的には今も変わっていないのは事実で、安易に期待できないという意見ももっともです。
(被曝をなくすことが第一)
* 今回の講義を受けて、政府が隠蔽していた事故がこんなにあったことにも驚き、毎回悪い意味で驚かされることばかりだなと思いました。最後に考えた今なら岩佐さんは救われたか、という問いに対しては、私はNOと思ったのですが、理由は、今なら被曝をすぐに認められるかもしれないけれど、認められたからといって救われたことにはならないと思ったからです。被曝してしまう労働者が出ないようにすることがまず第一だと思います。(J1)
→ これもその通りですね。公害も労災も未然防止が第一です。それでも被害が出たなら認定補償しかないでしょうが、それは補償であって元に戻せるわけではありませんものね。
労働者と対策
* 今回は労働者についてで、前の授業で住民と対立したりしていたが、労働者には労働者の苦労があって、今回では外注業者の社員として電力会社にはあまり逆らえなく、電力会社に対して弱い立場で大変だったと思った。また、当時は原発があまり危険視されていなくて検査しようにも詳しい医師があまりいなくて原因究明に2年3ヶ月もかかったりと対策の甘さに憤りを感じた。原因がわかるまで2年3ヶ月もかかってしまって断定できなかったにしても、全面棄却はかわいそうだと思った。今では不幸中の幸いで震災によって原発が危険視されるようになったので、もし事故が起きても岩佐さんの時のようにはならないと思った。また、起こしてはならない事故なので、今後は起きないようにしっかりと対策をしてほしいと思った。(T1)
→ 原発の危険性が知られるようになったのはその通りですが、事実の隠蔽や記録の改ざんはその後も続いているので、今でも安心はできませんよ。
(少なくとも精神的には救われるのでは)
今回の授業で最後のグループワークで、「今の時代なら救われたか?」と問いがありました。わたしの意見としては、2011年の東北の地震による福島原子力発電所の事故により、昔よりも、原子力発電所に対する市民の注目は集まっていると思う。なので、きっと、世間全体が味方になり、少なくとも精神的には救われるのではないかと思いました。(J1)
→ たしかに当時は核実験禁止運動が国民的課題の時代だったので、原発被曝は特異な事件とみなされていました。今なら関心を持つ人も増え、少なくとも精神的な支えは岩佐さんの時より太くなっているでしょうね。
原発の点検補修が下請けに回されることについて
(被害に遭うのはいつも弱者)
* 下請けの労働者達が実際に現場で作業し、被曝してしまっていた。そして、そのことがなかなか認められないままとなってしまう。被害に遭うのはいつも社会的な弱者で、強者は見向きもしない。この現実を皆が意識するべきだと思う。(J1)
→ 被害に遭うのはいつも社会的な弱者という観点は大事なポイントですね。水俣病の場合は漁民でしたが、社会的には少数で裕福でない人たちでした。岩佐さんのような下請けの労働者の場合も同様で、しかも労働組合もない無権利状態だったのです。
原発運用の現状
* 電力会社が原発の点検などの現場労働を下請け業者に委託していることは知っていましたが、そこの兼ね合いは非常に難しいだろうなと思います。電力会社としては危険な仕事を自社社員に高額で任せるより安い賃金で下請けをしてくれる業者に任せたい思惑があるのかなと思うのですが、原発区域に住む社会的地位の低い(といえば言い過ぎかもしれませんが)人たちに汚れ仕事を押し付けているように見られても仕方ありません。私はこれはある意味差別であると思います。しかし下請け業者の方も、その事業を受けることでしか大きな利益が得られないという現状があるのならば、この問題は非常に複雑だとも思います。慎重に考えなければなかなか納得のいく解決策は出せないと思います。(J1)
→ 社員より下請けに回すことで同じ労働力を安く雇うということは同一労働・同一賃金(ILO憲章前文)に反することで、労働者の基本的人権を無視することになります。しかも、危険防止策を徹底した上でなら別ですが、短期の下請け労働者に対して安全衛生教育を徹底するなど現実的にも考えられませんよね。
命とお金
* 講義ありがとうございました。私は、原発の点検補修が下請け会社によってされているのは、コストカットの1面があるのではないかと思います。
私は、原電のような大きな会社よりも、小さい下請け会社の方が人件費が抑えられるから下請けにやらせていると思います。しかし、小さな会社は大企業ほどちゃんとした安全対策をできるとは限りません(もちろん、するべきではあるのですが)。
結局のところ、命とお金を天秤にかけて、お金を取っているのが、下請けに任せているという状況なのではないかと思います。(J1)
→ 下請けに回すことで人件費を減らすことが目的なら、上に書いたように国際労働機関憲章の前文に書かれている「同一価値の労働に対する同一報酬の原則の承認」に反することになります。もし、短期の作業だから正規の社員にはやらせられないということなら、点検補修作業のためのきちんとした安全管理と安全衛生教育が不可欠となるでしょう。
原発の下請けについて
* 電力会社が原発の点検、補修を下請けに任せる理由は、作業員を安く雇え、また危険な仕事を任せられるからだと思う。なぜなら、社員には給料面などでの待遇も必要であるし、社員が事故を起こせば会社の信頼低下にもつながるからである。しかし、電力会社の利益のためだけに作業員を搾取するこのような制度は改善されるべきだと思う。(M1)
→ 「安く雇え」「危険な仕事を任せられ」「事故責任も免れる」という理由は、どれも正当性がありませんよね。まさに下請け労働者を搾取する差別的雇用以外の何物でもなくなります。
授業で扱った問題がニュースに
(もんじゅ廃炉のニュース)
* 先日ニュースを見ているともんじゅ廃炉を知事が容認という記事が目に入り、大変驚きました。というのも前回の授業でもんじゅについてのビデオをみて学んでいたからです。授業で習ったことがそのまま現代社会でも問題になり、議論されているという事実に感銘を受けました。そして、その問題についてより深い知識を仕入れていたのでニュース内容にも頭が追いつき、自分なりの意見も出せたのが新鮮で嬉しかったです。(M1)
→ まさに先週の授業でやったばかりのことだったので、目についた人はそうだったでしょうね。福井県はこれまでの交付金に代わる見返りを求めていましたが、玉虫色の了解が取れたと判断したのでしょう。でも、使用済み燃料の県外搬出はかつての普天間基地の県外移設の二番煎じとなる可能性が高いと思いますが、どうするのでしょうかね。
(原子力機構のPu被曝ニュース)
* 授業で扱った内容がニュースになっていることがとても興味深く、より関心を持って内容を知ろうと思いました。今回の予習の第7章は原子力に関する問題で、原子力が人類に利益をもたらす反面、使い方を間違えると人類に破滅を呼ぶものだという内容がすごく心に残りました。今も北朝鮮の問題が深刻化している状況で、原子力に関することを日本の人々が深く知ることが大事になってくるのだと思いました。一服のグループ内討論は良かったです。(C3)
→ 授業前に関連ニュースが飛び込んでくると、より関心を持って授業に臨めますよね。今回のような例はたまたまですが、この授業で取り上げている問題と関連したニュースは気を付けていればよく出てきますよ。この授業のおかげで新聞を読むようになったとか、ニュースに注意するようになったという人は毎年多いですね。
社会的固定観念を変えること
* 偶然にもつい先日、原子力機構での内部被曝の記事を新聞で読んだところだったので今日の講義はいつも以上に興味がありました。
岩佐さんの話も、今日の講義で初めて知りました。岩佐さんの一連の話を聞いて感じたことは「社会的な固定観念を変えるのはとても難しい」ということです。原子力発電の安全性というものを世間の人がはっきりと問題視するようになったのは福島の事故以後の最近であるため、原子力を夢のエネルギーと謳った原子力発電が始まった当時は、作業員の内部被曝という概念自体、受け入れられにくかったのだと思います。このことは原子力発電の安全性を疑う事を当然と捉えている現在の私達には新鮮に思えました。毎回の講義を楽しく聞かせて頂いていますが、今日の講義は特に発見が多かったです。班で話す時間が多かったことも良かったです。(M1)
→ みんなの世代では原発の安全性が問題になったのは福島事故からと思っている人が多いでしょうが、実は原発が危険だと日本の人々が気付いたのはチェルノブイリ事故(1986年)の時だったのですよ。世界の国々でも同様で、とりわけ死の灰が落下したヨーロッパでは深刻で、ドイツを始め脱原発に舵を切った国が登場しました。しかし、日本ではソ連(旧)の原発は技術的に劣っているからで、日本の原発は安全との神話が福島事故までまかり通っていたのです。あのときの二の舞を福島事故後もしてはなりませんね。
班での話し合いは好評なのでできるだけ入れるようにしていますが、授業の進め方としては苦労するんですよ。
果たして原発や原発労働者は安全なのか
* 東日本大震災以降、日本では、原発の安全面に関して、特に放射能を心配し、原発の稼働に反対する人は多い。だが、この場合の心配は自分自身の心配であり、原発労働者の心配でない場合もある。しかし、ここ数日間のニュースでは、高速増殖炉の作業員の内部被曝事故など、原発関連のニュースが相次ぎ、原発について無視できない出来事が相次いでいる。日本で最初の被曝事件として知られる岩佐さんの事件では、裁判では症状や放射能の危険が認められず、棄却された。だが、その後も、原発事故が隠蔽され、1986年のチェルノブイリ原発事故まで原発の危険性が注目されなかったこともあり、労災認定は困難だった。その後2011年には福島でも原発事故があったにもかかわらず、日本は高速増殖炉の開発を続け、今回の内部被曝事故に陥った。このことから私は、原発や原発労働者は常に放射能の危険と隣り合わせであり、安全面に不安があると思った。(S1)
→ 今回は関連ニュースが相次いだのでみんなも関心を持ったと思いますが、授業中にテキスト巻末の年表で原発関連を探してもらったのでわかったように、原発の事故や事故隠し・データ改ざんなどは毎年繰り返されています。年表にあるのはほとんど大ニュースになったものばかりですが、マスコミでは一定の時期を過ぎるとニュースから消え去り、忘れられてしまうのが常です。今回のPu被曝事件もすぐに火消しの動きが始まっています。忘れてしまわないことが私たちにも求められていると思います。
政府、企業の対応
* こんなにも沢山の原発作業員が被曝しているのを知ってとても驚きました。先日起こった原子力研究開発機構の研究開発センターでの作業員の内部被曝の直後の会見で、健康に影響が出るほどではないと考えていると言って、そのあと撤回しているのを見て、この講義で習った公害や事故での政府や企業の反応と同じだなと思いました。高い危険性を伴う原発の点検、補修を電力会社でせずに下請けに押し付け、被曝事故が起きたら隠蔽しようとする流れをなんとかして改めるべきだと思いました。(M1)
→ 授業の後、今度は一転して「肺からプルトニウムは検出されず」との発表があった(6月10日朝日:右)そうで、急に報道から消え始めています。8日の発表については、「体の表面に付着したプルトニウムを除ききれず合わせて計測したため、実際に体内に取り込んだ量よりも大きな検出値となっていた可能性がある」とのことですが、そうだとすればまさにずさんな話で開いた口がふさがりません。いずれにしろ、内部被曝があったことは事実ですから、厳しく監視していく必要がありますね。
作業員被曝事故
* この授業を受けなければ事故について自ら新聞記事を読むことはなかっただろう。授業で原発や労災について学んでいることによって、記事を見た瞬間に読んでみようと思った。このような自分の変化に驚いた。この授業を受けることで授業で扱われた題材についての知識を得られるだけでなく、様々なことに興味を持って自ら知ろうとする姿勢を身につけられるのだなと思った。レポートで何をテーマにするかまだ決めていないが、授業で扱われていないことについて書きたいと思う。(M1)
→ 自ら調べ、知ろうとする姿勢を身に付けてもらえれば、この授業を受けた意味があるというものです。ただ、この事件、どうなるか、注意深く追っていく必要がありますね。レポートでもその姿勢を忘れずにね。
政府の対応からわかる原子力の危険性
* まず今回の授業前に高速増殖炉の研究開発センターでの内部被曝事故のニュースを知り、改めて原子力の危険性および不十分な管理体制を目の当たりにした。授業では原発で働く労働者として被曝した岩佐さんと国の対応を学んだ。そこで考えたのは、今も昔も原子力は私たちが安全に管理することなどできないものであるということだ。それにもかかわらず、政府が安全だと言い張ってきたがために、今でも原子力事故が起きてしまうのである。今では国民の多くが原子力に関する知識を少なからず身につけているので、今こそ国全体で原子力の是非を再考すべきだと思う。(J1)
→ 今回のニュースの混乱状況を見ても、原子力関係の安全管理がいまだにきわめてずさんなことが露呈しましたよね。改憲よりも原発を続けるかどうかでこそ国民投票にかけるべきでしょうね。
作業員の被曝のニュースを見て
* 授業後に家に帰ってから原子力研究開発機構での作業員の被曝の事件をニュースで見ました。今授業でやっている内容がリアルタイムで問題となっていることを知り、驚きました。事故が起きてから3時間たってからの救出、やはり今回も対応の遅さが問題ではないでしょうか。人体に影響はないと発表されていますが、過去にも同じように発言をして結局被曝の被害にあっていたことを思うとなんだか信用ならないような気がします。原子力を扱う仕事はいつも危険と隣り合わせで、日頃から様々な事態を想定して問題が発生したらすぐに対応できるようにするべきだと感じました。(J1)
→ 日本の原発技術は世界の中でも優秀で、作業員の能力も高く、安全管理も厳しいので、日本の原発は外国のような事故を起こさないというのがチェルノブイリ事故後の日本政府の公式見解でした。そのどれもが崩れ去っているのに、まだ原発に固執し続けるのはなぜかこそ、考えてください。
原子力事業の失敗
* 久しぶりの投稿です。今回、木野先生の講義を聞いて放射能の危険を再確認しました。放射能を浴びてしまうと命に関することであるにも関わらず、こんなにも放射能に関する事故が発生しているのは放射能を人間がうまく扱えていないからだと思います。しかし日本政府は原子力はクリーンなエネルギーと言って原子力事業を推し進めて来ました。僕はこれは日本政府の失敗だと思います。今の原子力発電の現状を見てみるともんじゅが廃炉の方向へ進み、先日には作業員が国内最悪の内部被曝をしたというニュースを聞きました。このニュースの続報として実際の被曝はもう少し低かったというニュースがありましたが、原子力発電の事故の隠蔽の過去があるので100%信じることは出来ませんでした。やはり日本の電気を原子力ばかりに頼るのは間違いだと思います。JCO臨界事故の被害者の写真を見ましたが、かなり衝撃的で放射能がこんなにも人間を変えてしまうのかと思いました。(J1)
→ うん、JCO臨界事故の写真はお薦めじゃないけど、広島の平和資料記念館と同じように一度は見てほしいですね。Webでも見れますし、画像を見たくない人はNHK取材班がまとめた『朽ちていった命』という記録(新潮文庫)を読んでみてください。今回の内部被曝事故はどこまで報道陣が取材できるのかによりますが、ぜひ追跡してほしいと思います。
岩佐さんの被曝が認められなかったことについて
棄却理由―2年3か月後の診断ではNoとは
* 岩佐さんは医者を転々とした後、大阪大学付属病院皮膚科の専門家の人によって「放射線皮膚炎」と診断されて提訴した。しかし、政府の調査委員会は訴訟中にも関わらず岩佐さんの被曝を否定した。そして一審だけでも7年かかったのに、大阪地裁は原発被曝を認めず、請求棄却した。その理由が問題だと自分は考えました。阪大病院での診断が出るまでに2年3ヶ月がかかっているから作業後にまもなく発症した放射線皮膚炎とは認めがたいなどが理由としてあげられていました。でもそのときに、放射線の知識を多くもっている医者がたくさんいて、すぐその医者と出会えて、診断を出してもらえるかどうかなどは誰でも考えたらわかるはずです。勉強して弁護士や裁判官になった大人がそんな判断もできないのは考えられません。(T1)
→ 当時は普通の医者ならまだ原発なんてよく知らなかったでしょうから、放射線皮膚炎なんて専門医でなければ診断できるはずがありませんよね。杓子定規な司法判断で、1ミリレムの怪とは違って、こちらは専門医の診断による立証ですから、それを棄却理由にもっていったのにはあきれますよね。
(国会でのやりとり)
* 被ばくせずとも、したとしても作業員に害を与えるような放射線を出しているならば田中首相のようにすぐさま問題にするべきなのに、1ミリレム以下の放射線しか受けていないとか言い訳するところは本当にみっともないと思う。このような答弁が僕ら学生でなく、実際の首相答弁で行われていたので話が進んでおらず情けないと思う。(T1)
→ 言い出した田中首相も1ミリレムだから被曝なしとの科学技術庁長官の答弁で納得したのですから無責任です。田代先生の診断書にはノーコメントだったのですから。
原発事故の隠蔽について
隠された事故に対する世論関心の低さ
* 初めてコミスペに投稿させていただきます。第8回のレジュメ内の「何もしないで予習カードやレポートだけなら安全圏とは言えませんよ。」という文字を読んで、かなりギクッとしました。
それはさておき、今日の授業で気になったのは「原子力の事故隠しが非常に多いこと」でした。これは何故か、ということを自分なりに考えてみました。福島第一原発事故やもんじゅナトリウム漏れ事故など、私たちは「公開」された原子力事故については関心を持ち、議論の対象にすることが多いですが、「隠された」原子力事故に関しては、たとえその後発覚したとしても、話題に上ることが少ないように感じます。現に私もこんなに多く「事故隠し」があったことを知りませんでした。私たちは「その時」公開された情報から「その時の」物事・善悪を判断することが多いので、後から、「あの時」に「こんなことがあったんだよ」と言われても世論の関心は低めです。原子力関連施設の事故隠しが多発するのも「隠しておいたほうが後でバレたとしても批判が少ない」という思考が原因なのではないでしょうか。
提出はまだまだ先ですがレポートのテーマも「隠」に関連したテーマにするのもいいかなと考えています。(E2)
→ まだセメスターの半ばだったから、早く気づけてよかったね(笑)。
現在進行中の事件に比べて過去の事件に関しては風当りが少ない、またはもう忘れられているから謝れば終わりというふうに思われているなら、許せないですね。罰則はさかのぼっても課せられるのですから、きちんと処分するだけでなく、隠していた罪を加重してほしいものですが、実際にどうなったかは私も調べたことがありません。良いテーマかもしれませんね。
原発の隠蔽を受けて
* 今回の講義の中で原発の事故の隠蔽等が挙げられただけでもいくつもあり、当時どれだけの人々が被害を受けていたかと思うとずさんな管理はかなりの問題であると改めて思いました。
当時の医療技術等が全くもって発達していなかった訳がないですし、実際皮膚科の医者に診てもらって分かることもあったのにもかかわらず、認められなかったことを思うと無念で仕方なかったと思います。
より早くに認めることで原発対策をしていけば現在に比べてもっと議論が進み対策が進んでいただろうと考えられるので、これから微小な問題が少しでも見つかればすぐに公表し、国を挙げて対策研究して行くべきであると考えます。(J2)
→ 鉄は熱いうちに打てという諺にもある通り、早め早めの対策が最も効果的なのに、常に引き延ばせば逃げれると思ってるようですね。その挙句の果てが福島事故であり、もんじゅの廃炉なのに、まだ同じ道を歩もうとしているようで、教訓に学ぶ気がない限り、何度も同じ過ちをくりかえすことになるでしょう。
原発の様々な問題
* 原発の事故隠しが思っていた以上に多いことに驚きました。原発はリスクが大きいことは十分に認知しているはずなのに、管理や運営方法がいい加減であることに憤りを感じます。
また、原発の作業は日雇労働者が行うことが多いと知り、事前の安全指導や事後の健康管理は十分に行われているのか、ただの使い捨ての扱いになっていないか非常に不安です。(H2)
→ 今回の授業で事故隠しの発見ゲームをやりましたが、おかげで思っていた以上に多いことに驚いた人が多かったようですね。でも、それがわかった事件は氷山の一角で、実際はもっといっぱいあったはずですよね。
隠蔽システム
* 被曝や事故を隠蔽できてしまうのは、下請け企業も電力会社も経営し続けるためには隠蔽するほうが都合がいいからです。従業員は企業に従わなければ働いて給料をもらうことができないし、利害が一致していることも原因だと思います。裁判で負けてしまったと聞いて悲しくなりました。(C1)
→ その負の循環にくさびを打つためには、誰かがどこかで立ち上がるほかありません。岩佐さんは下請け労働者で弱い立場でしたが、逆に言えば原電の社員ではありませんから原電に遠慮する必要はなかったとも言えます。幸いにも、岩佐さんの親しかった創価学会の友人のおかげで国会質問までしてもらえましたし、その後は当時まだ珍しかった反原発の人たちと出会うことで裁判闘争を続けることができました。私が支援していた大東のマンガン中毒被災労働者とも親しい仲になり、物質的には恵まれませんでしたが、精神的には信頼し合える友を得て、泣き寝入りをするより闘い切ったという満足感を得て成仏されたのではないかと推察します。
原発の実態の隠蔽
* 今回の授業では、原発で働く労働者について学びました。まず、原発の点検と補修が当の会社ではなく、その下請け会社によって行われていたということを知って原発の闇の深さを感じました。また、先生の著書の巻末に記載されていた年表を参照することで、どれだけ原発事故の隠蔽がなされてきたかが分かりました。ひとくちに「どうしようもないエネルギー不足」という理由で原発に賛成するのではなく、現状がどうなっているのかを無視したままでは、エネルギー不足よりも深刻な問題が出てくると思いました。(J1)
→ エネルギー不足については、今日の授業で考えましょう。本当に原発がないと困るのか? エネルギーはどこまで必要なのか? 実は政府や電力会社の問題ではなく、私たち自身の問題なのですが…。
原発労働者の被曝について
作業員の命の重さ
* 東日本大震災が起きたとき、行政が作業員の被曝限度量を簡単にあげていてびっくりしました。人の命が関わる重要なものなのに、非常事態にはあっさり変えていて大丈夫なのかなと思いました。また電力会社が危険な仕事を下請けに任せてしまっているのも、弱者が一方的に虐げられてなかなか被害者が救済されない原因なのかなとも感じました。(N1)
→ 両方とも原発で働く労働者にとっては大きな問題です。福島事故が起こるまでは諸外国と同じ被曝線量限度だったのに、事故が起こった途端に作業従事者の確保のために線量限度を引き上げるなど、お手盛りもいいところです。さらに事故後の作業従事者は下請けどころか、作業内容も知らないままの臨時雇用の人たちをかき集めたのですから、命の重さを受け止めていたとは思えませんよね。
労災認定基準の厳しさ
* 東日本大地震による原発事故によって原発の恐ろしさが世間に知れ渡ったことで、労災申請の認定が得やすくなったであろうが、2016年12月16日時点で労災申請11件のうち認定が3件、不支給3件、調査中4件、取り下げ1件 だという事実をみると、それでもまだまだ労災認定の基準が高いのではないかと感じた。(M1)
→ その通りで、申請が出来ることはある程度伝わったでしょうが、申請のための被曝や診断の証拠を集めるのが大変で、実際に申請までこぎつけるのは容易ではありません。その上、申請しても認定されるのは3割弱ということですから、ここでも認定基準が厳しいことがわかります。
誰も犠牲にならない時代
* 長年、病を抱えながら裁判で闘い続けた岩佐さんが本当にすごいと思いました。今でこそ、福島第1原発の事件があったから国民が放射線の恐ろしさをやっと理解した感じですが、当時は本当に厳しくて孤独な戦いだったと思いました。国民のために一生懸命働いている労働者がその仕事のせいで被曝して苦しむというのはとても残念なことだと思います。将来的に、安全に原子力発電を行い、誰も犠牲にならない時代を作っていかなければならないと思いました。(N1)
→ そうなれば良いのですが、安全に原子力発電を行う目途はいまだに立っていません。しかも、原発を稼働した後に残る放射性物質の処理についてはまったく目途が付いておらず、誰も犠牲にならない時代はいつ来るのか、来るのか来ないのかすらわかりません。
なぜ次に活かせないのか?
* 公害や労災職業病にも見られたように、原発問題でも被害者の訴えが、政府には通じなかった。このような事例は、何度も起こっているのに裁判には反映されないという実状が、もどかしく感じられるし、被害者の意見に耳を傾けて、今後このようなことが起こることの無いように、工夫してほしいと思いました。(C1)
→ どんな工夫が考えられると思いますか? 期待だけでは人任せですから、具体的にどうすればよいかまで考えましょう。
聴講に来られた方々からのコメントとメッセージ
(原発で働く方たち、どうぞご安全に!)
* 福島原発の事故処理、54基の原発の廃炉には放射線の危険の中での作業が必要である。その作業は労働という形で為されるわけだが、生命や健康をかけての労働とは、と考えてしまう。
また仕事は経験を重ねることで洗練されていき、作業も効率化し仕事をする人も熟練していく。そういうことが原発関連の労働現場では放射線被ばくの関係から出来にくい。現場の人が経験を積めない労働現場とは、やはり労働災害も起こりやすいだろうし、安全教育も十分になされるとは思えない。
今日も福島の事故処理現場、全国の原発の保守点検で作業員の方たちが働いておられるのだろう。どうぞ「ご安全に!」と言うしかありません。
久しぶりの聴講、教室いっぱいの学生たちがまぶしかったです。双方向型授業を掲げられているだけあって、学生を引き込む仕掛けがさまざまあって、より「双方向型」に進化。木野先生もすごいですが、それに応える学生がいることが明るい気持ちにさせてくれました。
交換会をヤシの木広場で開く授業、なんて素敵なんでしょう!(聴講・市民H)
→ Hさんはこの授業の前身の「公害と科学」(1994~2004年、総合Aで開講)に毎年のように聴講に来られていた方で、当時小学生と幼児だった娘さんと息子さんはお母さんが聴講されている間はどこかのサークルの学生が遊んでくれていたそうで、交歓会になると一緒にお菓子を食べて楽しんでいました。その娘さんも今は社会人、息子さんは大学生だそうです。この授業をはじめてからでも、JCO臨界事故や福島原発事故、もんじゅの事故と廃炉決定など、大きな節目が何度もありましたが、岩佐さんの話は残念ながら今でも語り継ぐにふさわしい話だと思います。
「科学と社会」に名前を変えてからでも、この授業は今年で13年目になりますが、その間に「より双方向型に進化」したと言ってもらえるとうれしいです。そして、市大の学生さんもすごいですねと言ってもらえたこともね。交歓会は夕食を作らねばならないのでと帰宅されましたが、おいしいお菓子と立派なチョコレートの差し入れをいただき、みんな大喜びでした。
「原発で働く労働者」を聴講して
* 市大を卒業してからほぼ50年、もうすぐ68歳になる「老人」です。昨年も教室の後ろの方の席で周囲に違和感をまき散らしながら「水俣病は終わっていない」を聴講しました。今回、このテーマの講義に参加したのは、大阪市の環境行政に長く携わり退職後は途上国の地球温暖化対策支援の仕事をしてきましたので、インドなどで進められている原子力エネルギー導入が途上国に必要なのかをもう一度考えたいと思ったからです。それは途上国を支援する日本自身にとっても大きな問題なのですが・・。そして、もう一つの理由は、日本で最初の原発稼働から福島の廃炉に至るまで現場で働く人々がどのようであったかをもっと知りたいと思ったのです。というのも4~5年前に覆面漫画家の手によって福島第一発電所の廃炉作業を行う現場作業員の日常の姿が「いちえふ」という漫画で生々しく描かれたことが忘れられなかったのです。
講義では木野先生からの質問に対する学生からの意見も活発で、ついつい自分も当てられたら何と答えるかと真剣に考えてしまいました。いくつかの点では学生の皆さんが答えた内容と私が考えた内容は異なっていました。例えば「今なら岩佐さんは救われたでしょうか?」と言う問いにYES/NOで意見が分かれたものの、その理由として挙げられたのが「国民や政府や企業がYESあるいはNOと考えているはずだ」という情緒的・抽象的な内容であったと思います(まとめて言えばということですよ)。
私なら結論を導くにあたって先ず理由から考えて、岩佐さんの症状についての科学的な正当性はどうか(医療関係者の支援がえられるか?)、運動を進めていく主体はどうか(連合も支援してくれるだろうか?)、法廷での戦術はどうか(労災・原発政策・原発技術などの専門性を有する技術者や弁護士などの専門家の支援がえられるか?)等々、具体的なところから出発します。その先に結論を想像していきます。
とはいうものの久しぶりに頭を活性化させた時間でした。その後の交歓会にも参加しましたが、そのなかで市大時代のことや大阪市での経験・行政のやりがい、そして何よりも行政マンが現場を熟知しており、多くの人が良い制度に変革していくんだという熱意を持っていることなどを伝えられたかなと思います。最後に「今日、交歓会で話を聞いて良かった」という言葉を投げかけてもらいましたが、嬉しい一日となりました。(1972年市大工学部卒、N)
→ Nさんは自己紹介で書いておられるように、市大卒業後、大阪市の職員になって環境行政の部門でいろいろ奮闘された方です。末尾の1972年工学部卒ということで気づいた人もいるかもしれませんが、テキスト209頁に紹介している井関進氏のいた頃で、実は同じ研究室の学生(井関氏は院生)だったのです。したがって、私とは半世紀近い付き合いで、これまでに何回も聴講に来られています。みんなの先輩ですから、聴講だけでなく、最近の市大生はどうかなという関心もおありだと思い、みんなの意見発表や交歓会を楽しんでもらいました。
今なら岩佐さんは?というお題では、みんなのYes/Noの理由が情緒的・抽象的な内容からだったが、自分は立証計画や専門家の協力、支援運動の構築、裁判を進める上での課題など、具体的な可能性の有無から考えていたとのことですね。実際にシミュレーションするにはその通りなんですが、それはさまざまな社会問題に関わってきたNさんだから言えることで、まだ具体的な経験のない学生の人たちにはまだ無理からぬところではと思います。
交歓会に参加した学生の人たちが「良いお話を聞けて良かったです」と自主的にお礼を言っていたので、私もうれしかったです。


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