2017年7月28日金曜日

第12回コミスペ 「薬害エイズは今・・・」

第12回 「薬害エイズは今・・・(ゲスト:花井十伍さん)」(2017.7.7)を受けて

Communication Space
  前回はゲストに花井十伍さんをお迎えしました。公害や薬害の被害者にお会いするなんて機会はめったにないでしょうから、少し緊張したかと思いますが、にこやかに話されたので逆にびっくりしたもしれませんね。
 グループワークの課題はいささか難しかったかもしれませんが、良い頭の体操になったでしょ。
 「短歌とその心」は今回も私が選んだ10選だけコミスペの後ろに紹介します。
 いつものことですが、メールの件名を付けることと、末尾に(学部・回生・氏名)を忘れずに書いてください。コミスペの見出しはできるだけ自分で付けてください。( )付きの見出しは私が付けた印です。締切は月曜17時です。

薬害について

(薬の副作用は使ってみなければ・・・)
 * 様々な可能性を秘めている医薬品であるが、それが副作用を持っているのかどうかは使ってみなければわからない。使用する側は命をかけて使っているということを開発側も理解する必要があると思った。(J1)
→ 何もかも使ってみなければわからないというのも言い過ぎだね。命をかけて使ってると言える人もそんなに多くはないよね。HIV患者の置かれた状況を安易に一般化するのはどうかな。

(薬はなるべく飲まない)
 * 私は薬はあまり飲まない、だが体調が自分でもこのままではダメと思った時しか飲まないのである。今日の授業で薬はなるべく飲まないべきと再度思いました。(L2)
→ 日本人の薬好きはよく指摘されるけど、飲む飲まないは個人の判断だよね。

(安全性と販売のスピードとの葛藤)
 * 今まで怠けてしまって、コミスペを数回しか出していません。すいません。最後も近いので、最後だけでも頑張りたいです。
 今回、企業と薬害ということで、講演がありましたが、難しい問題ですね。気をつけても起こることはあるし、安全性と販売のスピードとの葛藤にかんがえさせられました。(C3)
→ あなたはどちらを優先しますか? 例えばがん治療薬だったら?

医療と薬害
 * 医療と薬害は微妙なバランスの上で成り立っているんだと知りました。新薬を待つ人は多いけれど、開発できたからといってすぐにホイホイ出せるものでもない、かと言って慎重すぎる臨床実験を行っていても、求める患者の原病が悪化してしまう。なるべく早く、しかし安全性を確保したものでなければならないというのは本当に微妙だなと思いました。
 花井さんの場合は血液感染ですが、私は血液が医薬品と見なされるならば、通常の医薬品よりももっと厳しい体制があっても良かったのではないかと思います。エイズの感染経路がわかっていなかった時代にしても、血液から何らかの病気に感染するリスクは他の医薬品よりもリスクが高そうだという想像はついたはずです。より危険そうだというものに対しては、他のものより時間をかけて実験を行い、安全性を確かめるということも大切だと思います。(J1)
→ 安全性と緊急性の葛藤に悩んだ人が多かったようですが、非加熱血液製剤の安全性を無視したために被害を受けた薬害エイズ患者の一命を取りとめるために抗HIV剤を緊急輸入することに悩む理由などあるでしょうか? 緊急性が必要なのはそういう特殊な場合で、一般的には安全性が優先されるべきでしょう。

道はあるのか
 * 医学や薬学の話は専門用語が入るとすぐに話が難しくなり、やはり素人が簡単に入っていける世界ではないのではないかと思いました。しかし話を聞いていると、結局根本的な問題はこれまでの授業でやった公害や労災と変わらないのではいかとも思いました。人の怠惰や臆病、利益への欲求が人を傷つけたこと。決定を下す人と現場とでは色々なことが違うこと。組織は人でできていること。人の顔が見えにくくなってしまったこと。どこにでもあることだから、きっと誰にでも直面するときが、必ず来るのだと思います(気づいていないだけかも知れませんが)。今回も企業で人道的な道を選んだ人は退けられていきました。彼らが団結して力をもつことはできなかったのでしょうか。(J1)
→ 薬害も公害やその他の災害と基本的には同じ構造です。ただ。製薬会社はそんなに規模が大きくはないので、労働組合も少なく、あっても大鵬労組のように自社の薬の安全性に関心を示す労組はありません。しかし、薬害では被害者の横のつながりが強く、国の薬事行政に花井さんのように薬害被害者が委員として影響を及ぼすほどの力を持っています。

(科学によって与えられた害)
 * 花井さんの話を聞いて、花井さんが友達が最近お亡くなりになられたということを話していらっしゃってとても切なくなりました。こういった薬害だけでなく、病気などがとても身近なものなのだと思いました。1日1日を大切に、生きようと感じました。
   科学は万能であると考えられがちですが、科学によって与えられた害なども多くあります。それらをしっかりと考え、この先に起こるかもしれない害も見据えて、科学との付き合い方を考えなくてはならないと思いました。(J1)
→ 薬害エイズ訴訟の二代目の代表は花井さんの兄貴分ともいうべき京都の石田吉明さんですが、実名を公表し、裁判を先頭に立って闘われましたが、和解決着のつく前の年(1995年)に亡くなられました。また、この授業の前身の「公害と科学」の授業にも一緒に来ていただき、交歓会で受講生と交流していただいた小林アキラ君という若い患者も途中で亡くなられました。その人たちの思いとともに花井さんも一日一日を大切に生きておられるのだと思います。

HIVと差別について

(薬害エイズは社会的な問題だった)
 * 薬害エイズは個人的な問題ではなくて、社会的な問題であることが分かった。(M1)
→ 授業前までは個人的な問題だと思っていたんですか?それが差別の始まりだということも理解できたでしょ。

エイズの怖さ
 * エイズの怖さはもちろん病気もだけど、差別もです。水俣病でも、水俣市の場合は患者差別があって、人間は差別したがる生き物なのかな、と思ってしまいます。〈C1〉
→ 人間も他の動物と同じ単なる「生き物」なのでしょうか? 人間と動物の違いについてはいろいろ議論がありますが、言語中枢の発達によって得た知識や技術の学習と蓄積による文明の構築ではないかと思います。差別はいけないことと理解するようになったのもその結果で、他の動物と異なるところですが、これは学習によって得られるものですから、絶えず社会で確認し直すことが必要ですよね。

HIV感染症と差別
 * 今回の資料を見て一番驚いたことは、後ろの方に載ってあったHIV感染症に対する差別に関してでした。「松本事件」「神戸事件」「高知事件」すべての事例でエイズの患者の方は実名が特定され、ひどい場合では顔写真や家族についても報道されたと書いてあるのをみてとても憤りを感じました。エイズ患者というだけなのに、飲食店での入店拒否や、デマの報道、嫌がらせの手紙が届くなどのことをされるというのはどうなのかと思いました。確かにエイズという病気はすごく怖いものです。しかし、もっと怖いのはエイズに対する無知さと、そこからくる勘違いや差別だと思います。(T1)
→ 今回は講義時間の関係で、最後の「HIV感染症と差別」については飛ばされましたが、花井さんによると、これだけで一コマかかるくらい別の課題(人権問題)になるので中途半端に話さない方がよいと思ったとのことでした。あのレジュメの箇所とテキストのエイズ予防法の箇所を読めば、何が起こって何が問題になったのかは理解できたことと思います。問題は、同じような場にあなたがいたら、どうしましたかということです。

(思い出した小中でのエイズの話)
 * レジュメの最後に書かれていた、エイズ患者への差別や人権侵害の話を読んで、小、中学校でエイズは血液感染だから普段の生活では感染しないということを、しつこく言われたことを思い出しました。どうしてこんなにしつこく言うのかと思っていたけれど、こんなことがあったなんて驚きました。間違った知識が流れてみんながそれを信じることは怖いと思いました。(N1)
→ エイズ患者と一緒にいただけでは感染しないんだから、必要以上に差別してはいけないということを強調したのだと思いますが、「血液感染だから普段の生活では感染しない」というところは多分「血液感染以外にも性的感染や母子感染もある」ということも教えられたと思います。どちらにしても、感染経路を知っていれば、防ぐ手立てや対策が取れるのですから、エイズ感染者への偏見を取り除くようにと小中で行われたはずですね。

守るべき命と守りたい命
 * 『国民をエイズの脅威から守ろうとしていたけれど、その国民の中にそういう連中(血友病患者、ゲイコミュニティなど)は含まれていなかった』という言葉が、以前の講義のオノさんの話に通じているようでとても心に刺さりました。エイズの恐怖をあおるような報道のために、血友病患者たちを避けようという風潮が生まれていたこと。まさに、差別を助長する行為だなと改めて感じました。どのようにエイズの危険を伝えれば差別につながらないのか、その方法はオノさんの回でも、今回でもまだ思いついていないですが、このような差別がなくなるようにしっかり考えなければと思いました。(J1)
→ J1さんはオノさん役を演じたので、あのときの障害者差別の話と重ね合わせて感じたのでしょうね。全くその通りで、あのときは優生保護法という法律があったということで背景を説明しましたが、今回もエイズ予防法という同じくらい露骨な差別法律が作られたのです。法律にまでなるということは、社会の中でそういう考え方が多数だったということですから、差別については社会が常に目を光らせていないといつでも同じ過ちが繰り返されるということを示していますよね。ちなみにエイズ予防法は1988年制定で、1998年の感染症予防法成立を受けて1999年に廃止されました。優生保護法の方は1948年制定で、1996年に母体保護法に改訂されています。

花井さんの笑顔

何よりも驚いたこと
 * 昔のいろいろな話を聞いて、死にかけたなどとおっしゃっていましたが、何よりも今元気に自分たちに話してくれていることがとても不思議ですごい方だなと思わされました。(E1)
→ 最初に市大で話していただいたのは和解直後の1996年ですが、その当時は私も学生も1年後にどうなってるか全くわからなかったので、今が信じがたいですね。

笑顔の裏で
 * 今回の授業のゲストの花井さんが、私が初めてこの目でみたHIV感染被害者でした。実際自らが受けた被害についてどのように講義されるのだろうかと思っていましたが、予想に反して笑顔で話をされたことに驚きました。しかし、話の折々に同じ被害に遭った方が何年前に亡くなったなどの話を聞くと、その方達への想いが強く伝わってきました。二度と悲劇を繰り返さないために、花井さんから教わったことを私たちも伝えていく必要があると思いました。(J1)
→ 毎年、受講生が同じように驚きますが、深刻な話を深刻な顔で話すのはそれこそ辛いと思います。もう笑うしかないよねというお話しこそ、忘れられないと思います。

貴重な機会
 * 授業の最後に、生きていたらまた授業をするとおっしゃられたことがあると聞いて怖いなと思いました。それほどまでに死が身近であるのだと思い知らされたからです。今回も授業にきてくださって本当にありがたいなと思いました。直接お話を聞けるのはとても貴重なことなので、是非来年もお元気にゲストとして授業をしていただけたらいいなと思います。
   次がラストのゲストの方の授業なのがとても残念です。来週もいろいろなことを学びとれたらなと思います。(M1)
→ 抗HIV剤のおかげで、エイズで亡くなる人は急減しましたが、薬を飲み続けないといけないというストレスは続いていますし、エイズよりも最近はC型肝炎で亡くなる人が増えているそうですよ。花井さんは来年も来ていただけそうですので、後輩に受講を薦めてください。

花井さんの強さ
 * 花井さんの仲間の方々が亡くなっていっているという話を聞いて本当に辛くなりました。苦しみを共有してきた仲間がいなくなるというのはどれほど辛いことなのか、私は経験したことがありませんが「もしそうなったら」と想像すると辛いという言葉では表現しきることができません。また、そのような辛さを経験しても笑っている花井さんは強いなと思いました。(J1)
→ 苦しみや辛さは想像を絶するかと思いますが、それにくじけず、笑顔で立ち向かうことで「生きる」ということの大切さを私たちに伝えていただいているのだと思います。すごいなで終わらず、みんなも強くなってください。

(花井さんの言葉は衝撃だった)
 * HIVの薬害については中学、高校の保健の授業で何度か耳にしたことがあったのですが詳しく知ることもなく、今回初めて、しかも薬害に関係のある方からお話を伺うことができてとても貴重な経験になりました。今までは自分に全く関係のない遠い話だと思って関心を持つことがありませんでしたが、今回花井さんの口にした、「(次の機会は)自分が生きてたらね」「(一緒にお話しをしていらした方が)亡くなってしまったんだけどね」という言葉が私にとってとても衝撃で、そんな中で活動されていらっしゃる方からリアルなお話を聞く、ということはとんでもないことなのではないかと感じました。(H4)
→ ほんとですね、たまたまこの授業を取ったがためにそのとんでもない機会に恵まれたのですから、ラッキーだと思ってください。しかも、このクラスの中で4回生は3人しかいませんからねえ。

医師・専門家について

医師としての倫理観?
 * 検査で陽性が出ていたにも関わらず、医師がそのことを患者に伝えなかったというお話がありました。当時は父権主義が当たり前であり、医師は倫理観からそうしたそうです。患者への思いやりから伝えなかったのかもしれませんが、医師も人間であり、知らないことがあるのは当然で、そのことは伝さえすれば理解してもらえるものだと思います。それをしなかったのは倫理観のせいではなく、知らないと言えない、医師のプライドのせいではないかと思いました。(M1)
→ 現在の医学部では医療倫理の基本はインフォームド・コンセントとして教えられ、医療父権主義(パターナリズム)は昔の古い考え方として否定されていますが、現在の医療法に「説明と同意を行う」ことが「義務」として明記されたのは1997年ですから、大道さんの言う通り、花井さんらの訴訟が和解に至る前までは医師が患者に言うかどうかは医師の判断に任されていました。わずか20年前までのことですから、隔世の感がありますね。

(医者という専門家)
 * 今回の授業を受けて、やっぱり政府は何かが起こってから動くまでが遅いなと感じました。また、医療というものは本当に難しいものだなと思いました。医者という専門家の意見を私達は当たり前に信じてしまうけれど、専門家でも分からないこともあるし、間違っていることもある、ということを私達は理解しておかないといけないなと思います。(J1)
→ 医療においては結果がすぐ出ることが多いので、間違いもすぐ分かり、医療者の責任が問われることも多々ありますが、他の分野でも専門家の責任は同じですよ。ただ、結果が分かるのはずっと後の場合が多く、臨床現場の医師に比べれば緊張感が少ないだけです。

専門家の立場
 * 今回の講義で、生命と産業どちらの側に専門家は立つべきなのかという問いが印象的でした。
 私は生命の側に立つべきであると考えますし、そうであって欲しいと思いますが、専門家としての立ち位置を誤る場合もあると思います。
 それらを防ぐためにも我々も無関心ではなく、マスメディアなどを通して、社会全体で監視し、時にはしっかりと批判していくことが大切なのではないかと感じました。(H2)
→ 生命と産業のどちらに立つべきかと聞かれて、産業と答える人がいるでしょうか? 問題は、そんなことは分かっていても、花井さんの言う産業システムの中に組み込まれている専門家が、システムから自立して生命の側に立ち続けられるかということです。キーワードは、医療でインフォームド・コンセントが定着してきたように、専門家が自分たちの世界だけに閉じこもらず、専門家以外の一般の人たちにきちんと説明し、意見を聞きながら進めるという「社会的責任の自覚」だと思います。

医者と患者の関係
 * わたしは今日の話を聞いて、医者と患者の信頼関係を築くことはとても大切だなと思いました。医者は、患者に使う薬の効き目や、危険性、また、その薬についてわからないことがあるなら、わからないとしっかりと患者に伝えなければいけないと思いました。今回のグループワークのお題、特に二問目はとても難しかったです。(J1)
→ 医師と患者の関係についてはそれでよいとして、他の専門分野ではどうなりますかね。花井さんの問題は臨床での話ですから、有効性や副作用のデータをどう見るかということですが、人文社会分野だと専門性というのはまさに専門家の領域で閉じており、その科学的妥当性が素人から問われることはまずないでしょうね。むしろ、理系分野のようなデータに基づく科学的真実という概念が当てはまらない分野の方が多いかもしれません。そういう意味で文系の人には難しかったのはわかります。文系の人には、専門的知見と社会的妥当性というお題にしたら、どうなりますか?

難しいお題を経て
 * 恥ずかしながら、私の班はグループワークのお題が難しくてあまり話が弾みませんでした。しかし、これは授業なのですから、知らないことがあって当たり前です。このグループワークを通して、まだまだ知らないことがあるのだと気づかせてもらいました。帰ってからも、色々調べたり考えてみました。こんな機会を大切にしたいです。(J1)
→ J1さんのグループは文系の人が大半だったので、上に書いたように専門性と科学的妥当性というお題に実感がわかなかったのでしょうね。薬害の臨床の現場での話と限定して考えればそんなに難しくなかったのでしょうが。

専門家という役職
 * 以前、専門家というものは、知らないではすまされない。専門家だから知っていて当然だなどということを授業で扱ったが、さすがに専門家でもすべてのことに精通している人なんていないと思います。
  なので、今回の既存の知識で答えの出ない未知のリスクに遭遇したときに専門家はどういった行動を取るのかということに関しては考えることができて面白かったです!
  また、専門家という職業は本当に大変なものだと痛感しました。私たちも、専門家に丸投げするのではなく、どのように振る舞うかを考えることが重要だと思いました。(C1)
→ たしかに公害や職業病のときは、専門家なら知っていて当然のリスクを放置したがために被害を拡大させてしまったことを強調しましたね。今回は未知のリスクということで、リスクの可能性をどこまで伝えるべきかという課題でした。同時に、それは永島君の言うように患者や素人が専門家にすべてを丸投げすることの是非をも問うことでした。原発再稼働のディベートで出ていた微量放射線のリスクをどう考えるかという問題にも通じています。

グループワークのお題について

(お題は少し難しかった)
 * 今回花井さんから直接お話を聞けたことは、めったにないことだと思うので貴重な体験となりました。
 グループワークでのお題は少し難しいなと感じ、その答えが私の中ではっきりしていないので少しだけモヤモヤが残りました。薬害エイズ、血液エイズについて他の授業でも学んだことがあったので、より理解を深めることが出来てよかったです。(N1)
→ お題は2つありましたが、どちらかな?それとも両方ともかな? 後で少し解説もありましたが、どう?

不確実なもの
 * 久しぶりのコミスペの投稿です。グループワークの話し合いがとても難しかったです。医療はとても科学的なものだと思ってましたが、よく考えたら医療は絶対的なものではなく、1人1人によって症状は違うし、どの医者でも同じ診断や治療法を提供する訳では無いと気づきました。それはあまりにも不確実なのに現代の医療に対して絶対的な信頼を置いている自分にびっくりしました。(N1)
→ 「(現代の医療は)あまりにも不確実」というのはどうでしょうねえ? 診断や治療のすべてが科学的に確実かと言われれば不確定性があるのは事実なので、絶対的な信頼を置けるものでないことは事実ですが、少しでも確実性の高い判断ができるように目指すのが医療ではないのですか。お題はそれでも未知のリスクに遭遇したらどうしますかということで、初めから医療を疑えという意味ではありませんよ。

(科学的妥当性のお題は難しかった)
 * 今回も、ゲストの方が、実際に経験されたことをお話ししてくださって、とても貴重な機会でした。GWで、科学的妥当性について話し合いましたが、難しかったです。
 患者は、専門家から伝えられることしか知らず、それだけを信じて治療を受けています。専門家たちは、しっかり責任を持って、推測されるリスクも含めてちゃんと患者に伝えてほしいです。(J1)
→ インフォームド・コンセントとは医師の側からの説明と患者側からの同意ということですが、そこには医師の説明責任と同時に患者が医師の言うままになるのではなく自分で判断して意思表示することも求めています。医師と同時に患者も自分の生命と健康に責任を持つことが必要な時代になっているのですよ。

誠実さ
 * 先日の参加型授業も、とても楽しかったです。授業の中で最も印象に残っているのは、未知のリスクに遭遇したとき、専門家はどう振る舞うかというお題です。私は医学部に所属しているので、医療従事者になる者としての意見を述べたいと思います。
 大切なことは、患者に対して誠実であるということです。今日、インフォームド•コンセントという考え方が広まっておりますが、まだまだ医療従事者を全面的に信頼して治療を受けられる患者が多いと思います。彼らの言葉で患者の運命が方向付けられることも少なくはないでしょうが、だからといって、わからないことだから誤魔化し続けるのは間違っていると思います。 未知のものだということを告げるべきです。(N1)
→ まさに、上の松尾君のように、まだまだ医療従事者にまかせっきりの患者は多いと思いますが、医療従事者は神ではありませんので、わからないことがあって当然ですよね。常に患者と一緒にベターな治療を考えてあげるような看護士になってください。

未知のリスクに遭遇したらどうする?
 * 今回のグループワークを振り返って、未知のリスクに遭遇した場合、専門家に求められる姿勢は何かについて自分なりに考えてみた。
 もし、未知のリスクに遭遇した場合、医師はどのような行動をとるだろうか。よくわからないことを患者に伝えて、患者を不安にさせたくないため、患者に何も言わないという場合、その後、未知のリスクがあることを医師が知っていたという情報を患者が知り、医師が情報を秘匿していたことの責任を患者に追及される可能性がある。しかし、未知のリスクについて知っている限りの情報を患者に伝えた場合、患者を不安にさせてしまう。また、データの数が不十分である場合、情報を伝えてもデータに基づく科学的知見ではなく、科学的知見に乗っ取って考察された科学的妥当性がないと判断され、信用されず、不安を煽ることにしかならないと私は考えた。
 このことから、私は、未知とのリスクに遭遇した場合、医師はいったん患者の立場に立ってもし患者が未知のリスクを知った場合どのように判断するかを考えた上で、行動を起こすべきだと考えた。(S1)
→ 未知のリスクを患者にどう伝えるかは多分学会や医師会などでも話題になってるはずだから、一人一人の医師が一から考えなくても相談すればよいでしょう。インフォームド・コンセントが基本になっている現在、患者を不安にさせるから伝えないという選択肢はありませんよ。

完璧なもの
 * 今回の講義のGWでのお題がとても難しかった。僕は科学的妥当性とは、科学の実験について、動物実験はできるが、人体実験はできず、人間に対する完璧なデータはなく、医者などの経験からの推測で行うことになるので、完璧なものが存在しないのは仕方がないことだと思った。(T1)
→ 科学的真実とは完璧な解(量子力学の不確定性原理ではありませんが、100%間違いないという解を出すことは人間にとっては不可能です)を指すのではなく、それまでの実験や観測・計算などから最も確実性の高い(再現性があるとか、誤差が小さいとか、予測ができるとか…)もののことです。科学的妥当性とはその科学的真実に少しでも近い知識を使うことの必要性を指していますが、それはとりもなおさず、現時点での妥当性であり、研究が進みデータが増えれば誤りや限界がわかることをも前提としています。だから、人体実験はできないかわりに動物実験で少しでも安全を確保しておくことは科学的妥当性を確保するために不可欠だということになります。

科学技術と人間の関係
 * 今までのグループワークのテーマは人それぞれ違う答えを考えてもいいもので、その答えにどれだけの論理的根拠を与えられるかが問われるものだったと思う。対して今回の「科学的妥当性とは」というテーマは、科学技術とその恩恵を受ける人間という全人類が共通して関与している普遍的な関係における倫理的問いであり、それ故一つの正しい答えを目指さすべき性質の問いだった。ご自身が苦しんでいる薬害エイズの問題だけでなく、それを通してさらに広く「科学と社会」について考える場を与えて下さった花井さんに感謝したい。(L3)
→ 花井さんのお題は普遍的な倫理的課題で、それまでの私のお題は論理的根拠を問う課題だったという受け止めは間違ってはいませんが、花井さんも論理的根拠があれば答えを絞るつもりはないでしょうし、また、私の場合も例えば優生思想がらみのときはNOの答えが前提であったことは明白です。人間の取るべき普遍的な立場はわきまえた上で、それぞれが直面するであろういろいろなケースについて頭の中で思考(試行)してみるゲームだと思ってください。ゲストをお呼びしているのはそのゲームの種類を豊かにするためでもあります。

科学の専門性の難しさ
 * 先日は花井さんの講演を聴いて、特に思ったのは医薬品を世に出す難しさです。有効性と有用性の話にもありましたが、ある医薬品を販売するとなった時に副作用のリスクを減らすために実験や研究をさらに重ねてしまうと提供が遅くなり助かったはずの命も助けられないことに繋がるかもしれない一方で最低限の調査しかせずに出した薬によって副作用が出てしまって苦しむ人々が生まれるかもしれない。研究者や医者という専門家としての立場においては難しいところではありますが、今の時代においては患者のためにもそのような立場の人間が分かっている範囲まででも良いからはっきりと責任を持ってリスクの説明を行うべきではないかと考えました。(C3)
→ 抗HIV剤の緊急輸入のときのように、薬害エイズでどんどん人が亡くなっていく中では国内での臨床試験が終わっていなくても導入することには患者だけでなく世論も納得しました。しかし、これは両者のリスクが歴然としていたからですが、本当なら非加熱製剤からクリオ製剤(1-2人の血液から凝固因子だけを取り出した治療薬で1972年承認。非加熱製剤が出てからは使用されなくなっていた)への転換が検討された時(1983年)に踏み切るべきでしたよね。

授業で気になった「科学的妥当性」のお話
 * 科学的妥当性について、どなたかがお話ししていた「納得できるかどうかが大事」という話についてですが、納得できるか否かという判断基準に頼るのは少々危険なように思い、気になりました。それは、説明する側の説明能力や、聞き手の理解能力に依存する面もあるからです。
 ただそれとは別に、専門家には、事実を誤解が生じないように伝えるべく、聞き手側の理解度も考慮して、必要に応じて情報を提供する責任があると考えます。専門性をもって、専門領域の事象を専門家以外の人に翻訳し伝えることも、専門家の仕事のひとつだからです。伝わるように話すことを諦めてしまうのは、責任の放棄であり怠慢です。そして勿論、分からないときにはごまかさずに分からない旨伝えることも、大事なことだと思います。
 そして聞き手となる側の人たちにも、ベースとなる知識を習得し、話を吟味する力を得ていくことが必要とされているように感じています。(世知辛いですが、情報の海のなかで自分の身を守るために。)
 P.S. 講義の様子から学生時代を思い出し、純粋に楽しかったです。本当にありがとうございました。木野先生と花井先生、お二人から頂いたサインをお守りに、今後も専門家の端くれとして精進します。(2004年工学部生物応用化学科卒・現在化学関係の研究職、M)
→ あのときに発言してくれたのはE2君ですが、後で出してくれた対話カードでは次のように報告してくれました。
 「発言要旨:科学的妥当性とは、皆があるものを信じるに値するということだと思った。信じる人が多いほど、そのものの科学的妥当性は増す。
 花井さんのコメント要旨:臨床段階において、データ数が一つより10、10より100以上ある方がデータの信頼性は増す。STAP細胞がマボロシになったのも再現実験ができなかったからだ。つまりそれは科学的ではないよいうことだ。」
 花井さんの答えに尽きますが、データの信頼性、再現性、論理的説得力などが揃ってはじめて「信じてもらえる」わけで、宗教と違って信じる人が多ければよいというものでないことは明らかです。花井さんのコメント要旨が的確にまとめられているので。E2君も理解したのではないでしょうか。
 専門家の責任については、学生時代のときから私の授業で何回も議論しましたが、今はご自身がその立場になって正面から向き合っておられる様子がよくわかります。どうぞ精進してください(笑)。

授業を受けて

私にとって「科学と社会」とは
 * 金曜日4限目の授業、毎週予習が必要で授業中のディスカッションも多く改めて面倒くさいと思わされます。予習をうっかり忘れることも多いです。しかし、嫌いな授業ではありません。理由はこの授業でしか学べないことがあるからです。例えば、英語や微積分は大学でも独学でもネットでも学ぶことができますが、埋もれてしまった水俣病の真実、原子力発電所の不合理性、忘れられていく公害の記憶を主体的に学ぶことができるのはこの授業しかないのではないでしょうか。(E2)
→ 上で紹介したE2君ですが、私がこの授業から得てほしいことを肌身で感じてくれたようでうれしいです。
 私がこの授業の前身の「公害と科学」を始めたのは、今の全学共通科目のカリキュラムが始まった1996年ですから、今年で22年目になります。
 私はその開講時から自分の授業を「双方向型授業」と名付けて、受け身の知識習得型授業とは違うことを強調してきました。先生から教えられた知識をよく理解して単位をもらうだけで満足せず、その知識から何かを考え、自分を磨くとともに、先生や同じ授業を受けているクラスメイトと一緒に考える場にしたいというのが目的でした。したがって知識だけで評価するテストではなく、自分の頭で何を考えたかを重視するレポートを基本とし、授業に出席すればよいのではなく、授業前の準備と授業後の振り返りを重視してきました。
 確かに予習は面倒ですが、何もせずに教室に集まっただけでは受け身の受講から抜け出すことはできません。この授業ではテキストを理解するための講義ではなく、テキストを事前学習にして、教室では「考える」ことを目標にしています。「この授業でしか学べないことがある」という表現は私にとって最高のメッセージです。
 (心に残る講義に感謝)
 * 第12回「科学と社会」の講義に参加させていただきました田中宏光です。花井十伍さんのお話では、薬害エイズの問題をとおして医薬品開発についての考え方、自分で調べるポイントを限られた時間で伝えていただきました。また、双方向授業の進め方について非常に重要な経験をさせていただき、準備と経験が必要で自分ではすぐにうまくはできないですが、自分の授業にも少しずつまねをしてみるところから双方向授業に取り組んでいこうと思います。授業のあとの交歓会でも私の話に対して花井十伍さんから意見をいただき、あっという間に時間が過ぎてしまいました。心に残る講義をありがとうございました。(1987年理学部生物学科卒・現在長崎国際大学薬学部准教授、T)
→ T君は現在のカリキュラムになる前の時代(授業が通年制で法律で決まった授業しかなかった)の学生で、公害問題をテーマに私が始めた「自主講座」の学生メンバーだった人で、その後、いろいろ苦労を重ねながら、今は薬学部の教員をしておられる方で、今回、薬害ということで花井さんの授業に来られました。ご自身の授業でも双方向型の授業をやってみたいとのことで、早速帰ってから始められたとのことです。

対話型授業のワンショット

 授業では、第2部の対話型授業の中で、学生発言者の話に対して花井さんから逐一コメントをもらいましたが、その中でみんなの参考になりそうなお話しがありましたので、紹介しておきます。

質問者:田尻一博(J1)
GWでは、統計的に見て、全体として多数にその効果があるかどうかで、科学的妥当性があるかどうかが見い出されるのではないかと思いましたが、ご意見をお願いします。

花井さん:
 臨床には患者と家族という徹底的に個人的というか、徹底的に私的な世界があるんですが、それとともに臨床には倫理とか科学とかいう世界もあって、この二つが必ずしも整合しないんですね。現場における真実というものと経験による真実やさらに制度化していくときには、必ずそこにコンフリクトが生じるんです。
 例えば、予防接種を打って副反応が出る確率は一千万分の一のオーダーでいいと言われていうわけですよね。ちょうど宝くじに近い。ということは、10枚買ったら当たるイメージと予防接種を打って重篤な後遺障害に当たるリスクが大体一緒くらいなんです。そうすると宝くじを買う人は絶対予防接種を打たないだろうし、予防接種を打った人は宝くじを買わないだろうというとそうじゃないでしょ。
 この人の考え方というか、日々サイコロを振るという行為ですが、ある瞬間、例えばあなたはガンですと言われた途端に、人は未知の領域に跳躍することがあるんですね。そのときに、それを導いてくれるものとして、科学もあるでしょうし、倫理もあるんだろうというふうに考えています。
 昔、阪大の総長やった先生が言ってましたが、臨床というか、現場では、「現場というところに立った専門家が自分の専門的知識をどのように現場に活かしていくかということが非常に大事なんですが、これ(自分の専門的知識)によって世界が分かった気になる人がいるんですよ、医者の世界には」と。
 そういうふうになってはいかんのではないかと、私は思います。皆さんには頑張ってくださいっていうか、命の存在、記述不可能性というか、書いても書いても書き残しがあるという感じで、そういう憤懣を感じ、ずっと見てきたし、生死を分かつものは何なのかと考えてきました。自分のこともそうだし、仲間もそうだけど、もうだめだと思っていたら、さっきの抗HIV剤のおかげで生き延びたんですね。だから、技術というと、どこまで行くのかなと楽しみでもあるし、不安でもあるんです。

  花井さんへの短歌10選 (選者:木野) 
 私の一存で選びましたので、評価とは関係ありません。(なお、出席は76人でしたが期限内提出は59人でした)

みんなには 入らぬみんな その線は 偏見まみれ 歪んだ曲線
 エイズが広がった際には、国民のみんなを守ろう!と政府はエイズ対策に乗り出した。しかしその国民みんなには血友病の人たちは入っていなかった。むしろ血友病=エイズといった偏見にまみれた目線でそこに線を引いてしまった。あたかも元よりその人たちは「みんな」ではなかったように。このように偏見にまみれた目線で人に境界線を引くことが多い気がするし、それは悲しいことのように思った。情報は表面だけではなく、その中身の本質まで吟味する必要を思った。(C4)

薬害の 元となった 薬でも はじめは全部 希望の光
 薬害エイズの原因となった濃縮製剤も、患者さんとその家族からすれば、初めは病気の治療における希望だったんだなということが、今回の講義を受けて感じたことです。患者さんは、医者の言葉を信じ、出された薬で自分の病気が良くなると信じていると思います。信じて使っていた薬が新たに深刻な病気を引き起こすとは、誰も考えていないでしょう。その危険性が出た時、すぐに対策がとられなかったことを知り、とてもやるせない気持ちになりました。(J1)

完全な 医薬品は 絵空事 ゆえに必要 患者との対話
 どれだけ多くの人々を対象に医薬品の実験を行って、その有効性と有用性が高いと示されても、絶対安全と言える医薬品は存在しない。だからこそ被害が生じてしまったら、そのことを隠さず医師が患者に伝えることとが、自身の状態を知るという意味で患者のせめてもの救いになるのでは、と思いました。(J1)

臨床医 わかったつもりは 許されない
 花井さんが授業のどこかで「臨床医ってのは、臨床の結果うんぬんよりも個人的見解を優先しがちなんですよ」とおっしゃっていましたので、自然とこの川柳が思い浮かびました。花井さんは、何度も臨床について触れられていました。「臨床」とは「科学的知見」に基づいているということだけれど、本当に「科学的」なのか。ということが今日の授業のポイントの一つでもありましたね。(E2)

医者として 患者の命 考えて 科学に対峙し 最善を尽くす
 将来医者になる身として、患者の命は最優先すべきものに変わりようはない。その中で科学的に全てを片付けようとするのではなく、一例ごとに真摯に向かい合って治療に尽力し、時には分からないと言う勇気も持つべきであることを学んだ。(M1)

医療者の パターナリズムなくなって 説明責任果さなあかん
 グループワークで医療者の言葉の重さと、その責任についてとても考えさせられ、データとして確実なことと、自分の勘とをしっかり使い分けて説明をしないといけないと感じました。
 また、患者があっての医療であるため、医療者は誰よりも患者を敬い、尊敬しないといけないことに気づかされました。(M1)

科学とは 諸刃の剣 だとしても それを使うは また人間
 科学がたくさんの人の命を救ったこともありますし、科学がたくさんの人の命を奪ったこともあります。それだけを見て、科学のことを善か悪かに分別することは難しいとか思います。しかし、少なくとも科学を使うのはあくまで人間で、科学が悪い方向に使われないように、科学が暴走しないように、科学を監視する必要や責任があるのではないかと思います。(J1)

にこにこと 笑うあなたの その裏に 幾度の戦を 乗り越えた過去
 笑顔がとても印象的だったけど、過去には血友病やエイズなどの病気の他に行政とも戦っていま生きておられるのがとてもギャップを感じた。(T2)

想像を 絶する苦難を 抱えても 笑える強さ 私も持ちたい
 血友病とエイズという2つの病を抱え、差別や仲間の死という辛さを抱えながらも花井さんは笑っていた。そのように、どんなに苦しくても笑える強さを私も持ちたい。(J1)

迷う度 恩師の背中が 道照らす
 仕事と家庭のバランスに悩みながら、日々様々な選択と格闘しています。
そんな中でも向上心を失いたくないと思うのは、真摯でありたいと思い続けられるのは、木野先生や、木野先生の授業で出会った先生方も含め、様々な恩師の背中を見てきたからです。
 今回花井先生の授業を受けさせていただき、背筋が伸びました。ありがとうございました。(2004年工学部生物応用化学科卒、M)

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