2017年7月27日木曜日

第2回コミスペ 「公害の原点・水俣病」

第2回「公害の原点・水俣病」(2017.4.28)を受けて

Communication Space
  今回も41人ものコミスペが寄せられました。前回はコミスペの多さだけでなく、全部が載るとは思わなかったという人もいましたが、よく見たら先生が見出しを付けてくれてるだけでなく、内容別に整理して編集されてるのに気がついて驚いたという人もいましたね。教室全体で発言する機会はそう多くないので、このコミスぺを教室全体での意見交換の場として活用してください。
  コミスぺを送るときは、件名を必ず「コミスぺ」とし、今後は本文の冒頭に自分で「見出し」を付け、末尾に(学部・回生・氏名)を書いてください。今回から見出しに( )があるのは、私が付けた印ですが、ぜひ自分で付けるようにしましょう。
  なお、月曜の17時で締め切り、それ以後の分は掲載しません。また、私のコメントに対してもう一度書きたい人は再投稿もOKですよ。

予習について
 (予習してるんだから教科書と同じ話をされても何のメリットがあるのか?)
* 教科書と同じことを説明するのは、なんのメリットがあるのか。予習している前提なので有用だとは感じなかった。何故12年続いたのかの議論について、政府、研究者、企業の責任と形式的にではなく、新日窒が政府とどのように繋がっていたのか、公害認定とは何で、認定されると政府が、企業がどのように困るのか、どうなるのか、(企業がどうなると予想したのか)説明して欲しかった。又、新日窒という財閥の製品、サービスで当時の日本が発展している背景も知って初めて議論できるのではないか。(C3)
→ おやおや、授業内容が教科書と同じなのは当たり前ではないのかな。違ってたら文句を言われてもおかしくないけどね。予習したんだから同じことを聞かされてもメリットがないとのことだけど、他の人たちのコミスペを見ればわかるように、予習しているからこそ、教室での講義についていけてるというのを実感した人は多いですよ。私は講義では教科書をなぞるだけのような話はできるだけ簡単に済ませ、映像等に工夫を凝らしながら理解を深めてもらうことに力を注ぎ、教科書に書き切れなかったことをできるだけ伝えるようにしています。そのうち、教科書にない話も増えてくるでしょう。
 認定について説明不足だったのは事実ですが、それは前回のテーマが公害認定までの話だったからで、それ以後の認定に関する問題はそれこそ今日のテーマですよ。

予習の効果
* 今まで授業を受けるときは前準備をすることなどほとんどありませんでした。しかしこの授業では予習が必要なので重い腰を上げて軽く知識を入れてから授業に臨みました。いざ受けると、予習した部分はもちろん、予習外の部分もすんなり理解することができました。予備知識の有無で授業がこんなにも変わるのは新鮮な驚きでした。これからは他の授業でも少しでも予習していこうと思います。(M1)
→ 教科書の予習カードを始めてから、いつもその効果に自分で驚いたという人が絶えません。「軽く知識を入れてから授業に臨みました」という表現がとてもうれしいです。教室でその知識を深めてください。

(予習してたので取り組みやすかった)
* 初めてのグループワークで緊張しましたがみんな積極的な人達でよかったです。
 また、予習して授業に取り組んだことで内容が頭に入りやすく取り組みやすかったです。水俣については中学高校と少しは学びましたが水俣病が発症するまでの事や、関わっている会社など細かいことは初めて知りました。 (J1)
→ 四大公害は必ず習うでしょうが、詳しいことはもちろんですが、すべて昔のこととして習ったのでは?

楽しい講義に
* 今回は予習をした上で講義を受けたが、最初はパワーポイントでテキストの内容をさらっただけなのでちょっと肩透かしだなと思った。しかし、実際に『なぜ?』という問いを問われると自分の理解の浅さが分かった。予習はテキスト以上のことを自分で掘り下げて考えないとこの講義では戦っていけないと感じた。
  また、初めて話す人とある程度の期間協力するのは新鮮に感じた。相手の考えなども聞けてかなり刺激になった。
  さらに、初めて大学の講義で挙手したが、正直かなり緊張した。相手の質問の意図を正確に捉えて、わかりやすく主張する力をつけたいと思った。
  この前ちょっとした機会に院の夜間の講義に参加させてもらったが、全員が自分の意見をしっかり発信していた。私もそうなりたいと思ったし、周りもそうなっていけばこの講義はめちゃくちゃ楽しいものになると思う。(H1)
→ 私のパワポを使った講義は単にさらっているのではなく、何がポイントかを指摘するためです。予習したから知ってるわと聞き流すのではなく、何が重要なことなのかを理解し、テキストにない話がないか聞き逃さないつもりで集中してください。
 でも、挙手して発言してくれたのだから、もうこの授業の受け方はできてるんじゃないの。ま、少人数のゼミや院と違って、挙手は勇気がいるだろうけど、慣れれば楽しくなるでしょう。

グループワークについて

(二人班だったけど、話せたのは良い経験)
* 本日の授業は班分けがされるということで楽しみにしていました。授業が始まるとすぐに班分けが開始され、僕は法学部の同回生と意見の共有、交換をしました。残念ながら僕の班は二人しかいませんでしたが、相手の意見を知り、自分の意見も整理、確認することができたのでディベートの効果を感じました。
 公害認定まで12年もかかったのはなぜかという難しくも見える問題を二人で話せたのは良い経験になりました。次回の授業も楽しみにしています。(M1)
→ 班分けは前回出席者をもとに組んだのですが、予想以上に欠席者(受講断念?)が多く、二人班は半分くらいありましたね。学部が重ならないように組み合わせましたので、教養ならではの良い経験になるでしょう。
 (他学部の人との組み合わせがよかった)
* 今回の講義でディベートのための班分けがされてあって他学部の方との組み合わせでした。僕は同班に医学部の方がいて、医学部とはキャンパスが違うので交流はないと思っていたけれど、初めて交流することができ、また新たな繋がりが増えてよかったです! 僕はディベートの経験もなく、トーク力も全く自信がありませんのでこれから大変かもしれませんがこの講義を通し少しでも何か身に付けることが出来るようがんばろうとおもいます。
 今回の講義で四大公害病の一つである水俣病が認定されるまでなぜ12年も要したのかなど水俣病について学びました。中、高校時代水俣病については詳しく習ったことは無かったので今回と次回の講義で知らない部分をたくさん知りたいと思いました。(J1)
→ 班分けは当初4人組のつもりでしたが、この教室は机当たりが3人席なので、4人にすると1班で2つの机が必要になり、全班が収まらなかったからです。今回の受講生はなぜか医学部+看護学部生と法学部生がそれぞれ1/3近くを占めましたので、両学部から1名ずつと他学部から1名という班が多いかと思います。同じ学部の人はどの班にもいないと思いますので、新たな出会いを楽しんで、有意義な交流をしてください。

(班はとてもいい機会)
* 今回の授業では最初他の2人が来なくて焦りましたが、なんとかペアを組むことが出来ました。他学部の人と意見交換や交流ができて、とてもいい機会だと思いました。
 授業内容は水俣病についてでしたが、他の講義よりも聞きやすく理解しやすい内容であったので興味をもって聞くことが出来ました。私は三重県出身で四日市公害について深く学ばされたので、水俣病などの公害問題は身近に感じました。次回も、チームの人と協力しながら、積極的に講義に参加していきたいと思います。(N1)
→ 実は28班は3人とも来てたのに、一つの机に座ってなかったようですね(笑)。ま、仲良くやってください。
 四日市には2015年3月にオープンした四日市公害と環境未来館がありますが、見に行きましたか。四大公害の資料館は1993年の水俣病資料館が最初で、四日市が最後ですが、一応揃ったことになります。

(多学部の人と交流して新鮮な気分に)
* 二回目の授業では、ディベートのチームメンバーと初めてお会いしました。医学部はつながりが閉鎖的なので、他学部の方と交流して、とても新鮮な気分になりました。まだ具体的なことはあまり決まっていませんが、チームメンバーは皆優しそうな方なので三回目の授業からも頑張って取り組みたいです。(M1)
→ 医学部・看護学部生はキャンパスが違うので1回生のときしか教養科目(全学共通教育科目)を受けられないですよね。他学部生と交流できる貴重な機会なので、私も大歓迎ですよ。杉本キャンパスの人たちにとってもあなた方と交流できるのは珍しい機会なのではと思いますから、よろしく。

公害病の責任
* ガイダンス明けの初めての授業で、予習とか、とても大変だなと感じました。しかし、授業を受けてみると、ただ受けるより深く内容が理解できました。水俣病の公害認定までに長い年月を要したことは、今まで知りませんでした。長引いた責任は、行政、企業、マスコミや色々なところにあり、一つとは絞ることができない複雑な問題なんだと改めて実感しました。グループワークの中でも、色々な意見が出て、そういう考えもあるんだなと考えさせられました。とても、充実した授業時間でした。(J1)
→ 予習とグループワークで、ただ受けるだけの授業よりずいぶん違うのを実感してくれたようですね。

動物への被害について

ネコへの被害
* 私はネコが大好きなので、今回の授業や「環境と人間」のテキストを読んで、「ネコ全滅」や「ネコ狂死」、「ネコ実験」などの言葉がたくさん出てきて悲しかったです。私は毎日のら猫を見て癒されているので、ネコが全滅するということはほんとに悲しいことです。原因も分からず、補償もされることなく、知らずに汚染された魚を食べて死ぬネコを気の毒に思いました。また、「狂死」という表現も、なんだかネコがかわいそうな表現だと思いました。
 ネコが病気にかかる原因は想像がつくけれど、豚が病気になった理由がよく分からなかったです。(M1)
→ ネコが好きな人の気持ちはよく分かります。人の場合も同じで、「狂死」という表現はよくありませんよね。ネコは魚を食べるけど、豚は食べない? そんなことはないよね、豚は雑食だから何でも食べるよ。

疑問
* メチル水銀による健康被害がまず海の生物に出て、次にトリ、その次にネコに出るということは納得がいくのですが、なぜブタに健康被害が出たのかが不思議です。ブタの飲む水に工場排水が含まれていたのでしょうか。それともブタの餌に魚が含まれていたのでしょうか。
 また、魚の死体が海にたくさん浮いているような状態であるにもかかわらずなぜ魚を食べ続けたのでしょうか。
 色々と疑問が湧いてきます。(M1)
→ 上のN1さんと同じ疑問ですが、豚は何でも食べるのですよ。人間の食べ残しでもなんでも。

有機水銀説について
 (なぜ有機水銀説を検証しなかったのか)
* 私たちの班では水俣病を長引かせたのは利益追求をエスカレートさせた企業と戦後復興のための経済発展を優先した企業の共犯であるという意見が出ました。
実際私も今まではそうであるとばかり思っていました。しかし、企業の弁護に加担した科学者の責任も重いのではないかという先生の解説をお聞きし、なぜ他の科学者が、警鐘を鳴らした熊本大学の見解を検証しなかったのか、当時の科学知見ではわからないことばかりだった等と言って片付けていいのか?と考えさせられました。(J1)
→ 科学者の世界では旧帝大と首都東京に近い有力大学の教授が権威とされ、熊本大学といえども地方の大学が言ってることとして軽くみなされたのは確かでしょうね。ましてや有機水銀説を否定する御用学者まで出てきたのですから、みんな引いちゃったのだと思います。
 (メチル水銀の副生を知っていたのだろうか?)
* 水俣病の予兆に気づいていたにもかかわらず、工場の責任者の人たちは「あの時は止められなかった」だとか「人の命も大切だけど…」のように言っていて正直驚愕した。多くの生き物が死んでいく様をみても、工業発達を優先しようとするその姿勢は最悪だと思う。
 以前はアセトアルデヒドの生成に触媒の効果が薄れないように助触媒として鉄、二酸化マンガンを使っていたが二酸化マンガンを濃硝酸にかえたためメチル水銀の濃度が跳ね上がり深刻な状況になったという。この化学反応式の欠陥を学者は知っていたのか、もしくは濃度が跳ね上がることを知っててもなお工業化を優先して無理やり実行していたのか気になる。(T1)
→ その言葉はチッソの上妻氏ではなく、国の汲田氏ですよ。
 メチル水銀の副生の詳しいことはわからなかったようですが、この1951年以後、工場技術者の中には異変に気付いた人たちもいたことが例のNHKスペシャルで紹介されています。(参照:教科書の196-198頁)

インタビュー映像について

企業のジレンマ
* 水俣病の公式発見から公害認定までに12年もかかった主な原因は、企業、行政、専門家の3つである。ここで、企業に対して考える。授業中の映像の中で当時の企業の人が「人の命は工場よりも大切だが、僕は工場を止められなかった」という内容のことを発言していた。この発言をただ非難するのは簡単だが、当時のチッソは日本において重要な位置を占めていたことも含めて、深く考えさせられる発言である。(M1)
→ あの人は経済企画庁の官僚でチッソの人ではありませんよ。で、深く考えた結果、どう思いましたか?

映像を見て
* 有機水銀を流していた側の人のインタビュー動画があることに驚きました。もし私が彼ら側の人間であれば、批判を恐れ取材は断ります。彼らが取材を受けたのは彼らなりの懺悔のつもりなのでしょうか。理由が何にせよ、勇気があるなと思います。
 汲田氏の「ある意味では確信犯だと思うよ。」という言葉が印象に残りました。国は人の命より経済活動を優先したということでしょうか。確かに一部の人間の命を優先して、国益を損なうことは非合理的であると思います。しかし、人の命がかかっているときに合理性を求めている場合ではありません。罪なき命は何があっても守られるべきものだからです。(J1)
→ あのNHKスペシャルは1995年7月に放送されました。1968年の公害認定後については今日話しますが、この年(1995年)は国が1万人以上に上る未認定患者の問題を解決するとして「政治和解」に走った年で、水俣病の最終解決とまで言われたくらいですから、関係者はみんな「これで水俣病は終わり」だと思ったからでしょう。実際、後に関西訴訟の控訴審で汲田さんが証人に呼ばれた時、私はたまたま出会わせたので、「なぜ、TVと同じ話を証人尋問ではしなかったのですか?」と聞いたら、「だって、あのときはもう水俣病は終わりだと言われたから。まだ裁判が続くなんて思わなかったもの」と正直にぼやいていましたよ(笑)。

公害発生時の被害者と加害者
* 今回の授業で印象深かったのは、加害者側であった会社の重役の方へのインタビューの動画でした。公害について考える際には、被害者側にどうしても目を向けがちですが、加害者側の意見にも重い視点をおいて考える事が重要になってくると感じました。
 その頃の時代背景と今の時代背景では全く異なっていると思うので、それを理解するためにも加害者側の思惑や考えを知ることが大事だと思いました。(J1)
→ で、加害者側の人たちのインタビューを聞いてどうだったのですか? 加害者側の思惑や考えを知ることの意味は何だと思いますか? 私がそれを強調するのは、加害者側の言い分も認めようという意味ではなく、いつでも私たち自身も加害者側に立つ可能性があるのだから、こんなとき、あなただったらどうしますかというのを考えるためです。

公害認定を遅らせた原因について

水俣病に対する当時の人々の対応は正しくない
* 高校までで四大公害病と言われる水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくについて授業で一通りは学んだが、授業で話を聞くだけで、水俣病の公式確認から公害認定まで12年かかったということを聞いたり、そのことの原因と理由について考えたりする機会は今までなかったように思う。
  また、今回の授業で考えたことをもとに、自分なりにもう一回考え直してみると、国としては高度経済成長期に公害を認め、せっかく発展している工業を衰退させたくないと思い、有機水銀説を否定する学者の意見を採用し、工場としては戦後廃墟と化した工場を復興させてせっかく戦前の時と同じレベルまで生産を取り戻し、復活させた工場を廃れさせたくないため、工場にとって都合の悪い情報を公開しなかったため、公害認定が遅れたのではないかと私は思った。本当にこのような対応で正しかったのだろうか。私は正しくないと思う。(S1)
→ 正しくないと思う理由は?と聞かれたら、どう答えますか。国益を考えれば少々の犠牲もやむを得ないという人たちに対して「正しくない」だけでは通じないでしょうから。なぜ自分はそう考えたかを説明するように心がけましょう。

権力と隠蔽
* 水俣病は発見から公害認定されるまでにかなりの時間を要していて、企業や国家が権力を駆使して隠蔽を図ろうとしたのが目に見えてわかってぞっとしました。他にもマスコミが大々的に取り上げなかったこと、専門家があまり協力的ではなかったことが理由としてあげられていて、なるほどなと思いました。
 そして12年の歳月はより被害を拡大させたのではないかとも思います。チッソのような大企業の場合、公害などなかったことにしたいというのがあるのはわかりますが、被害を最小限に食い止めるためにも、もっと早くに公害認定させるべきだったと思います。(J1)
→ 被害を最小限に食い止めるということは、企業にとっても補償等の負担を最小限に食い止めるということで、その後の企業対応への教訓になったはずですが、その教訓を活かせて企業はどれくらいあるかな? アスベストの被害ではクボタが遅ればせながらも水俣病を教訓として患者補償に踏み切った事例はありますが。

(一般市民の無関心も公害認定を遅らした原因)
* 今回の授業は、水俣病の発生原因までの過程と公害認定までの道のりについてでした。わたしは、水俣病が公害であるということはもちろん中・高の授業で知っていましたが、今回教科書を読み、初めて原因を詳しく知ることができました。公害認定まで12年もの時間を要したのは、もちろん日窒や国が原因特定を引き延ばしたことが最も大きな理由だと思いますが、水俣市以外の一般の市民の人たちも他県の現状について無関心だったのだと思います。マスコミがもっと、水俣市の現状を報道し、他県の人も公害認定に声を上げていれば、もっとはやく公害認定されていたのではないかなと思いました。(J1)
→ 水俣病の報道は熊本以外では時期も遅く、報道量も少なかったので、公害認定までは他所の地域の人たちが知らなかったのもやむを得なかったでしょうね。しかし、1968年の公害認定以後は全国に知れ渡りましたし、患者支援の市民団体(水俣病を告発する会)も1969年には熊本に出来、1970年には大阪にも出来ています。それ以後、市民の関心も高まったのですが、公害認定が進まなくなってからは徐々に関心も薄れ、忘れられていったのです。一般市民の無関心は公害認定以後の方が問題ですが、ともかく未認定問題が半世紀もの長い年月続いていることがその背景にあり、市民が忘れてしまうのをねらったのかもしれませんね。
 (私たち市民の当事者意識が少ないのかも)
* 今回から実際にグループになって活動していくので、今までの受け身の授業ではいけないと再実感しました。グループ内でディスカッションが円滑にすすむように事前学習を怠らないよう気を付けます。
 水俣病の裁判の話は記憶にありましたが、起こるまでの経緯を改めて学んだことで企業と政府の責任逃れを感じました。また、私たち市民も当時はそれほど深刻にとらえてなかったのかもしれねいし、全体的に当事者意識を持っている人が少なかったのではないかと思いました。(C2)
→ 公害認定までは報道も少なかったのでやむを得ませんが、その後は全国に報道されましたから一人ひとりの意識の問題ですね。上の守安さんへのコメントを合わせて読んで下さい。

公害認定のジレンマ
* 今回の授業で自分は、日本の公害の原点である水俣病の公害認定までの過程を学ぶことができた。そこではなぜ水俣病の公式確認から政府の公害認定までに12年を要したか、というのが注目された。そこで自分が考えたのは、公害認定をすることは企業や政府にとっては様々なリスクが伴い、その結果、公害認定までに長い年月を要してしまうということだ。住民の健康と企業の利益は決して天秤にかけることはできないものである。ただ高度経済成長期の日本において、政府や企業が住民の健康を軽んじためこのような結果になってしまったのだと考える。ここに公害認定のジレンマを見ることができる。ただ、この件における政府の対応が正しいのかどうかは両者の立場に立たなければ明らかにすることができないので、両者の背景を理解してから考えたい。(J1)
→ 国の経済成長と公害被害者の救済というのが天秤にかけられるものではないと言いながら、国の対応が正しかったかどうかはその立場に立たなければわからないとのことですが、国の立場は経済成長優先ではっきりしているのではないですか?

地方で起こった公害について

地方のことは関係ない?
* 今回の講義で一番印象に残ったのは、『地方で起こった問題だったから、公害認定が遅くなったのではないか』ということです。このような考え方は私にはなかったので、とても驚きました。そのあと先生のおっしゃっていた、『もし東京や大阪などの都会だったら、どうなっていたか』という言葉も、心に残っています。
  「地方の問題であって、自分には直接関係ないから…」と考える人は、今でも多いと思います。私も正直なところ、東日本大震災や熊本地震のとき、自分の住む地域には全く影響がなかったので、他人ごとのように感じていました。同じ日本に住む人たちに起こったことであり、またいつ自分にも同じようなことが起こるかもわからないのに誰かが解決するだろうと考えるのは、恥ずかしいことだと思いました。
 すべての人が地方で起こった問題であっても自分の問題であると考え、何か行動を起こしていれば、水俣病の公害認定は早くなったのではないかと思います。(J1)
→ 水俣病の公害認定に関しては報道がまだ少なかったので人々が無関心だったからと決めつけることはできませんが、その後の未認定問題についてはその通りですね。これに通じるグループワークのお題は後の授業でやりますよ。さあ、どこでかな?

もし東京で起こったら
* 水俣病の原因が解明するのに12年間もかかったのは初めて聞いたし摩訶不思議な超常現象でもないのに時間がかかりすぎと思った。
 その背景には企業や学者そして行政などが存在しこのような結果を招いてしまった。
 しかし、もし同じことが東京で起こっていたとしたら企業は自分の非を認めず、国は何もせず、学者は自分たちに都合の良い反論を唱えるのか? と思った。(T2)
→ 国のお膝元で原因不明のまま12年間も放置するなんてことは面目にかけても許さないでしょうね。

 (「誰か」の顔が見えないからではないか)
* 上妻博宜チッソ技術部次長の「前向きじゃない仕事は、ない方がいいわけです。」という言葉が印象深いです。誰もあんな被害を招こうと思って働いていたわけではない。なぜこんな被害を生んでしまったのか、理由はたくさんあるはずですが、ひとつには、「誰か」の顔がわからないからではないかと思うのです。被害を被っている、「誰か」。日本社会の経済発展のために働くことで、顔の見えない「誰か」を隠してしまう。どうしたものかなあ。(L2)
→ いいところに気がつきましたね。東京にいたら水俣は見えないし、奇病当時は患者が表にも出れなかったのですからね。その後、患者が東京にまで来るようになっても、陳情の場だけでは患者の日常生活や病状は理解できません。知ろうとする努力、知らせるための努力、お互いの顔が見える関係になれば、良い知恵も浮かんでくるはずです。

専門家と権威について
権威に立ち向かう勇気
* 今回の水俣病の問題に関する授業を受けて注目したポイントの1つは「権威」です。熊本、新潟の水俣病において原因物質が有機水銀であることに異議を唱え、別の物質を挙げたのは権威である有名大学の教授でした。専門外の人間からすると、「有名な大学の教授が言ってるんだから、正しいのではないか」と安直に考えてしまうのも無理はないかも知れません。日常的にも、メディアでお偉い方々が主張することをすぐに鵜呑みにしてしまっている人も多いかと思います。しかし、そういう時に「ちょっと待った。この人が言っていることは本当に正しいのだろうか?」と疑いの目を向けて、自分で調べて自分で考えることが大事なのではないかと考えます。この考えを胸に、権威の主張に気圧されることなく、立ち向かう勇気を持った学生、そして医師になりたいと思います。(M1)
→ いきなり、大変なことに気がつきましたね。普通の人なら「専門家」だとか言われただけで気圧されますし、ましてや「有名な大学の教授」と言われたら言われるがままになるのが普通でしょう。高校までの授業では、先生に教えられたことをよく理解し、覚え、使えるようになることが目標でしたから、先生の言ってることも疑えって?と戸惑ったのではないでしょうか。実は高校までで習ったことは、正しいことがすでに認められていることがほとんどだったのですが、大学では最先端の問題も扱うわけですから、仮説の段階や議論のある段階のものもどんどん出てきます。どれがどこまで正しくてどこが議論のあるところかは先生によって話し方も異なります。つまり、大学で教えられることのどこまでが正しくて、どこからが議論のあるところかを見分けるのは学生自身に委ねられているのです。グループワークはそれを一人ではなくメンバーと一緒に考える機会だと思ってください。私はなんでも疑えと言いたいのではなく、これは本当か?と自分に問い、自分で納得できれば、それはよく理解できた証拠だよと言いたいのです。でも納得できなければみんなと話し合い、自分の考えを客観的に見直したうえで、当面の自分の答えとすべしということなのです。当面のと断ったのは、未来永劫変えないということではなく、「過ちては則ち改むるに憚ることなかれ」という意味です。

彼らに良心はなかったのか?
* 専門家と言われている人が悪意を持って仮説を立て、それを企業や国が利用していたことが認定が遅れた一因であると知って驚きました。自説が正しいと思って真摯に研究を行い結果としてそれが誤りだったというのならともかく、専門家であるということを悪用するようなことは絶対に許されません。彼らには良心というものがなかったとしか思えません。(M1)
→ 悪意を持ってでたらめな説を立てたのかどうかまでは断定できませんが、国やチッソに都合の良い説だったことは事実ですし、熊本大学の人たちを快く思っていなかっただろうことは想像できますよね。有機水銀説は患者側には受け入れられても国やチッソには歓迎されなかったのですから、どちらを向いていたのかは明らかですよね。

経済成長優先が公害を激化させた

(水俣病は環境や生命に対する考え方を変えた)
* 今私たちは公害を公害として認識して問題視しているが、水俣病が確認された当時は水俣病は公害でもなんでもなく、誰かの責任を問うものでもないと思われていたのかなと思った。だから日窒は水俣病は自分たちの責任という感覚もなく認めるのも遅くなったのかなとも思った。また自然環境に配慮するという考え方も当時は一般的ではなく経済成長を最重要していたという背景もあるかもしれない。水俣病は一般企業が利益の追求だけでなく環境にも配慮しなければいけないという考えを広めた一例でもあると思う!授業とても楽しいです。(N1)
→ 公害としての認識が定着したのは4大公害の頃からですが、いわゆる産業公害は明治時代から足尾銅山などの鉱毒事件や大阪の煙害事件などがあり、公害被害が黙認されていたわけではありません。ただ。戦後復興や経済成長の政策が優先されたために規制や救済が後回しにされたことは事実です。戦後復興から高度経済成長への離陸宣言として有名な1956年「経済白書」の冒頭にある経済企画庁長官の声明「もはや戦後ではない」の中の一文を紹介しておきます。
 「戦後10年日本経済は目ざましい復興を遂げた。終戦直後のあの荒廃した焼土のうえに立って、生産規模や国民生活がわずか10年にしてここまで回復すると予想したものは恐らく一人もあるまい。国民所得は、戦前の五割増の水準に達し、一人当りにしても戦前の最高記録昭和14年の水準を超えた。工業生産も戦前の2倍に達し、軍需を含めた戦時中の水準をはるかに上回っている。(中略)
 今後日本経済はその行路において、多くの障害と新しい困難にゆき当るであろう。決して楽観は許されない。しかし戦後復興の成果に照し合せてみるならば、徒らなる悲観も無用である。われわれは日本国民の勤勉な努力に自信を持って、日本経済の内に秘められた力を抽出することに万全の施策をはからなければならない。勤労者農民の意慾と、企業者の創意とを政策よろしきをえて振起することが出来るならば、日本経済の前途にバラ色の道をひらくことが必ずしも不可能でないことは、戦後10年の成果がそれを証明しているではないかと思う。」
 これが水俣病の公式確認の年であったことは皮肉ですよね。

高度経済成長期の公害
* 今回の授業を聞いてあらためて水俣病について考えてみようと思いました。もうすでに被害者の報告が出ていたにも関わらず県や国がなかなか公害認定をしなかったのは高度経済成長期の真っ只中でありここで公害認定をしてしまうと影響が他の工場にも及んでしまい経済成長が低下してしまうと考えたからだと思いました。経済成長と引き換えに水俣の人の声を黙殺してしまったのだと思います。
 木野先生の授業は他の講義と違って受け身だけでなく先生の話を聞いてその上で自分の意見を他の人と話し合うという点がとても新鮮です。他学部の人だったり上回生の人と意見交換できるのも良い点だと思いました。(J1)
→ その通り、まさにこの時期は高度経済成長期の真っ只中でした。その中で公害の被害をどこまで考えることができるかが問われたのですが、当時は経済成長を優先して公害を無視してしまった結果、日本は4大公害をはじめとする世界に冠たる公害王国になってしまったのです。

公害企業の責任について
 「本当に企業が悪いのか?」
* 水俣病が公害認定されるまでに12年以上かかったという問題の背景には様々な要因が絡み合っているように感じました。発展を目指し、都合の悪いことを隠蔽しようとする企業や政府、原因を特定できず問題を錯綜させた科学者、また消費者(患者)の立場の弱さ、公害に関する法律制度の設備不良などなど。一言では語ることが出来ないのですが、大きく企業に責任を持っていく風潮には疑問を持ちました。実際企業に働く人も、私たちと同じ人間であって、上からの圧力の中「NO」と自分もきっぱり言えるのか、自分の悪いところを晒せるのか、ここは自分も顔をしかめます。やはり個人の心理的な弱さもこの事件の引き金であり、その引き金は誰でも引きかねないものだと思いました。(C4)
→ 企業や行政の責任というと組織の責任ということですから、それはそれできちんと社会の中で問われるべきでしょう。しかし、組織の責任となると余程のことでない限り個人の責任まで裁かれることはありませんよね。問題はそういう企業の中で働く個人の問題をどう考えるかということですが、それこそ、この授業では考えてほしいことなんですよ。

(人の命は企業利益よりも大切ではないのか)
* 授業の最後に見た、二人の男性の言葉が、衝撃的でした。企業にとって利益を求めることが大切なのは分かるけれど、人の命について、利益よりも、もっと大切なものだと、考えることができなかったのかと憤りを感じました。(J1)
→ 二人のニュアンスはちょっと違うけどね。汲田さんは「わかるけど、僕はできなかった」と言ってたよね。
 (利益とリスクは相互背反)
* 公害の原因となりえる工場であったり、施設であったりは、確かに地方に集中しているような気がします。
 しかし、私たちは現にその利益を享受しています。リスクは負いたくないけど、利益だけは享受したいというのはエゴに他ならないと思います。
 利益を享受したいのなら、それ相応のリスクを負う覚悟は必要であるし、それが絶対に嫌というのなら、それを廃止し、ある程度生活が不自由になることも覚悟しなければいけないと思います。(J1)
→ 私も同感です。今でも、利益は失いたくないけどリスクも負いたくないという人が大半だろうけど、少しずつでもそこを変えていかないと未来は明るくならないよね。

水俣病から学ぶこと
* 水俣病という公害の責任はどこにあるのだろうか。メチル水銀を流出させたチッソやそれを規制する立場にあった行政、様々な原因の可能性を提示した研究者、現地の実情を報道する立場にあったマスメディア。おそらくここに挙げた以外にも水俣病に関してある意味での責任を取るべき人たちがいるのだろう。しかし、これに似たような問題は何も水俣病に関する事象にのみ存在したのではないと思う。水俣病から読み取れる「責任所在の不明確さ」という課題は現代における諸問題にも通ずるものがあるのだろう。(J1)
→ 公害の責任は上げ始めればきりがないでしょうが、責任の軽重はありますよね。第一に問われるのは加害の直接責任であり、それは加害企業側です。次いで国民の命を守る義務のある国や行政でしょう。さらには、真実を追求し、社会の不正を正す役割が期待されている研究や教育や報道の果たす役割も少なくはありません。それらも組織としてだけでなく、その中の人間としての責任も自覚されなければなりません。

アスベスト被害について

公害を身近に
* 企業が大きすぎると、国も企業の味方になってしまうのだと怖くなりました。水俣病の公害認定が遅れたということを学んで、ある話を思い出しました。友達にこの授業の話をした時、その友達の祖父がアスベストの被害の恐れのある所で働いていて、手当金をもらっていたという話を聞きました。公害は水俣病だけではなく、身近にも存在するということを思いました。公害認定されなければ手当ても十分に受けられないのかもしれません。手当てがあれば健康が戻るわけではないけど、世間に公害を広めなければ何も解決しないと思いました。(C1)
→ アスベストも長い間放置された末に、ようやく2005年に石綿障害予防規則ができたのですが、その直後にクボタは尼崎旧工場での付近住民を含む労働者の被害を認め、翌年には最高4600万円の救済金の支払いを発表し、アスベスト被害救済の先鞭をつけました。このとき、クボタはすでに石綿事業をすでにやめていたのですが、水俣病の二の舞はしないとして見舞金のような公序良俗に反する行為を取りませんでした。しかし、石綿事業の現役トップのニチアスの方は、いまだにチッソと同じように訴訟による争いを続けています。その方がどこで働いていたかによりますが、アスベストは企業によって対応が様々ですよ。

前回の授業を受けて

刺激的で真剣な人達
* 今日も授業と交歓会に参加して思ったことですが、やはり人と議論をするのは本当に面白いです。人と話すと自分の考えが広がるし、また積極的な人を見るとそれに触発されてか自分も負けてられないと思えてきます。同じ水俣病についての授業を受けても出てくる意見は全然違っていて、話すうちに自分の発言や行動を恥じることもありましたが、先生や他の学生の方が真剣に意見を発してくださるのは本当にうれしいです。これからも学生目指して頑張りたいです。(J1)
→ 前回の交歓会はかなり話しましたね。このコミスぺでもコミュニケーションにはなってるのですが、顔を合わせて話すのはもっと人間的なコミュニケーションで楽しいですよね。

水俣病について
* 今日取り上げられていた水俣病については四大公害病として小学校から高校生まで習ってきました。しかし、自分が習ってきたのは水俣病の原因や発生場所などだけでした。なので曽木電氣からの話はまったく知りませんでした。そこで予習や授業を聞いたことから工場の排水によって公害が起こったことを認めたくないために他の原因を挙げたり、不利な実験結果を隠したりしていたことを知って憤りを感じました。隠したくなる気持ちもわかりますが、被害者がたくさん出ていることや被害が広がっていることをもっと考慮してほしかったです。(T1)
→ 誰でも最初は自分の責任を問われたら「まさか」と思い、否定したくなるでしょうが、目の前で起こっている事実に目をそむけず、自分の良心に照らして真摯に行動することが人としての道ですよね。

水俣病の残酷さ
* 授業ありがとうございました。先生の授業に最初から最後まで釘付けになってしまいました。水俣病の公式認定を妨げようと政府や本来なら人の命を救う立場である医学者までもが加担していたことに驚くとともに、とても残念な気持ちになりました。結果的には産業の発展に伴う代償として多くの被害者が出たにも関わらず、その方たちが奇病と罵られ世間の奇異の目にさらされていたことを思うと胸が痛くなりました。次回の予習も忘れないように頑張ります。(N1)
→ 本当に信じがたいことばっかりだったでしょ。でも、それが事実なのです。目をそむけないで、私だったらどうしようと考える習慣を付けてください。

日本の体質…?
* 水俣病に対しての政府の対応の遅さや不明瞭さ、無責任さに憤りを感じました。
ただこのような対応の不手際は、公害問題に対してだけではなく、原発事故やその他政治的な問題など多岐にわたるものだと思います。
 間違いを潔く認め、誠実に対応することこそが最善と誰もが認識しているのに、いざという時認めることができない。その心理は理解できますが、行政機関として対応する以上は人間の弱さで片付けていいものではないと思います。(H2)
→ 組織として責任を認めることは影響が大きいので慎重にという人もいますが、責任を認めず、うやむやにすることで被害を大きくすることと、どちらが影響が大きいのでしょうね。

(水俣病は今もまだ・・・)
* 水俣病のお話とても興味深かったです。
 最後に少し見た動画に出ていた人たちが言っていたことがとても胸に刺さりました。
 水俣病は昔の話のように話されますが、今もまだ苦しんでいる人がいるということを忘れず、また今現在進行している公害にも目を向けて行こうと思いました。(J1)
→ 今日はまさにそのテーマですよ。

(水俣病について初めて知ったことがたくさんあった)
* 第2回の講義を受けて、水俣病について初めて知ったことがたくさんありました。水俣病については小学校の授業で習ったぐらいだったので、水俣病という公害が発生した原因や経緯など、あと水俣病が公害認定されるまでに12年以上要したことにも驚きました。公害問題を二度と起こさないためにも、もっと多くの人が知るべきだと思いました。(J1)
→ 初めて知ったことはみんなたくさんあるでしょうが、その量ではなく、何がポイントだったかを考えるようにしましょうね。

第2回の講義を受けて
* 今回、授業を聞いたり教科書を読んでみて、水俣病の原点についてたくさんのことを初めて知りました。
 最初、水俣に工場ができる予定ではなかったことには驚いたし、水俣病が公害認定されるまですごく時間がかかったのにも原因がいっぱいあったことも分かりました。
 自分の班では出なかった意見も、他の班の発表で聞くことができて良かったです。来週は今回よりも班で意見を出し合おうと思いました。(J1)
→ 話し合うことは楽しいだけでなく、理解を深め、考える時間としても貴重なことがわかったかと思います。

水俣病の対応
* 水俣病は中学生の時から知っていたが、名前など基本的なことしかわからず、あまり詳しいことまでは知らなかったので、政府の対策の遅さや専門家の間違った発言などがあったことを初めて知って驚いた。また、そのせいで原因の特定に長い時間がかかってしまったことが残念だった。将来、専門家になる可能性もあるので、正確な知識で判断できるようになりたいと思った。(T1)
→ 正確かどうかをどこで判断するかですが、その判断基準をどうするかが重要ですね。
 先週の5月1日は水俣病公式確認61年目で、新聞各紙にも記事が出ていましたが、読みましたか。
 各紙の見出しのみ並べてみました。(デジタル版の見出しで、紙面とは異なることがあります)
 朝日新聞「水俣病、歌うことで伝えられるなら 公式確認61年 石川さゆりさん、患者と交流」
 毎日新聞「きょう公式確認61年目 被害者高齢化、理解を 医療や介護考えるシンポに150人」
 読売新聞「水俣病公式確認61年 患者高齢化課題に」
 各紙とも、高齢化した患者の課題を取り上げていました。もう患者の1/3は亡くなられていると言われていますし、胎児性患者も還暦を迎える時期ですから当然ですが。
 現地の熊本日日新聞では毎年、水俣病の連載を載せていますが、今年は「水俣病60年-償いと紛争処理」というタイトルで、13回にわたる記事がありました。その中に、今日の授業でも紹介する坂本美代子さんの記事がありますので、紹介しておきます。

チッソ、一部患者を例外に

 「裁判では想[おも]いは晴れぬ! チッソ本社に乗り込むぞ‼」。1973年3月、水俣病1次訴訟の判決に合わせ、熊本地裁に横断幕が掲げられた。患者らは勝訴判決を終着点ではなく、生涯にわたる補償ルールを確立させるための新たな出発点と位置付けた。
 それに先立つ71年、患者認定の申請を棄却された川本輝夫さんらが起こした行政不服審査請求を受け、環境庁は県の棄却処分を取り消した。新たな患者認定の基準も示した。有機水銀の影響が否定できない場合、主要症状のいずれかが確認されれば水俣病と認定する内容だった。
 「感覚障害のみの水俣病を認めた2013年の最高裁判決を先取りするような先見性がある」。元チッソ水俣工場第一組合委員長の岡本達明さん(82)が評価する認定基準だが、患者認定とそれに伴う補償要求の増加に伴い、認定の門戸は狭まっていく。
 川本さんらは71年の暮れに上京。チッソ本社との自主交渉を始めた。これに1次訴訟の勝訴原告らが合流。交渉団を結成して同社幹部と相対[あいたい]の交渉を続け、73年7月、補償協定を勝ち取った。
 1次訴訟の判決が認めた賠償金と同額の一時金に加え、年金や医療費を支給する内容。「以降の患者についても希望する者には適用する」との規定も盛り込まれた。補償協定が患者補償のルールとされるゆえんだ。
 しかし近年、チッソが認定患者に補償協定を適用しないケースが出てきている。
 拒否する相手は、04年に国と県の加害責任を確定させる最高裁判決を勝ち取った水俣病関西訴訟の勝訴原告6人。認定の前に裁判で一定の賠償を受けており、チッソは「補償は全て決着した」と主張している。
 地元選出の衆院議員として補償協定の締結に立ち会った馬場昇さんは生前、熊日の取材に「そもそも勝訴原告が当事者となって結んだ補償協定。今ごろ例外扱いするのは通用しない」と強調した。岡本さんも「未認定患者を救済するとした政治決着に乗らず裁判を続け、水俣病を終わらせなかった原告がきちんと補償されないのは理不尽だ」と憤る。
 原告の1人、坂本美代子さん(81)=大阪市=の認定は09年。東京のチッソ本社や熊本県庁に足を運んで善処を求めたのに対し、チッソは同じ主張を繰り返した。補償協定の締結には当時の環境庁長官や知事が立ち会ったが、今の環境省と県は静観したまま。ここ数年は体調がさらに悪化し、交渉に出掛けることすらできない。
 「認定審査会が止まっていたから仕方なく裁判をした。認定されても中身がないと分かっていれば、裁判なんか起こさなかった」。水俣病の補償を巡り、ほんろうされ続ける坂本さんがつぶやいた。(石貫謹也)  


 頭痛などを抑えるため毎日多くの薬を服用している坂本美代子さん=2月27日、大阪市
                           熊本日日新聞 2017年04月23日

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