2017年7月27日木曜日

第7回コミスペ 「ディベートを振り返って&プルトニウムと私たち」

第7回コミスペ 「ディベートを振り返って&プルトニウムと私たち(アイリーンさんの講義ビデオあり)」(2017.6.2)を受けて

Communication Space
   いつものことですが、メールの件名は「コミスぺ」とし、本文の冒頭に自分で「見出し」を付け、末尾に(学部・回生・氏名)を書いてください。( )付きの見出しは、私が付けた印です。締切は月曜17時ですが、なるべく早く。

 レポートについて
* そろそろレポートを書き始めようと思うのですが、テーマがなかなか決まりません。この前図書館に行って、興味が出るような本を借りて読んでみようと思ったのですが、どれもとても難しそうで読む気になれませんでした。私は文章を書くのが遅いので、早くテーマを決めてしまいたいです。(N1)
→ この授業のレポートでは、何かを調べてまとめるだけではなく、それについて考えたこと(考察)が必須です。初回で話したように、大学生になれば受け身で学ぶだけでなく、主体的に学ぶ姿勢が必要ですが、そのためには読んだり調べたことを受け売りではなく、反芻しながら批判的に思考した上で、自分の頭で整理することが不可欠です。テーマは書きやすいようにこの授業から余程離れない限り自由にしていますから、自分が関心を持つものを選んでください。読む気になれなかったというのは自分の関心と合ってなかったということですから、読む気になるものを探しましょう。
 せっかくですから、レポートについて少し補足しておきます。他の人も必ず読んで下さいね。
1.レポートのテーマ
 上に書いたように余程この授業から離れない限り自由ですが、どこまでOKか心配な人は聞きに来てください。おおよその目安としては、読書ノートの推薦リストにある本の題名を参考にしてください。
 最近のレポートで最も多いのは、ディベートの影響もあるのでしょうが、原発関係ですね。その他、授業で取り上げた水俣病やエイズなどをテーマにする人もいますが、レポートで授業と同じ題材を対象にするときはオリジナルな視点や考察が不可欠ですよ。
2.レポートのタイトルについて
 単なる調べものにつきものの「・・・について」のようなタイトルはやめ、レポートの内容を見ただけで推察できるようなタイトルを考えましょう。
 例えば、同じ原発のテーマでも、「原子力発電の問題点」と「原発が抱える普遍的差別構造ー労働者の視点から」では、タイトルを見ただけでわかるように、字数も内容も明らかに違いました。
 昨年のレポート評価で優秀だったもののタイトルを参考までに紹介しますと、「感染症患者差別の防止~エイズ患者差別の原因から~」「HIVウイルスの誕生」「反原発を歌にのせて」「『悪』は存在するか-障害者差別と優生思想から」「内部告発者は不幸か」などですが、タイトルを見ただけで読みたくなりませんか。
3.レポートの分量
 第2回のレジュメで本文は最低2000字以上と書きましたが、これはこれ以下ならレポートにもなりませんよという意味で、序論から結論まで書こうとするととても2000字では無理でしょう。ただ、字数を稼げばよいという意味ではありませんので、引用文や冗漫な文章でだらだらと書き流すのはかえってマイナス評価となりますが。
4.レポートの体裁
 手書きは不可とは言いませんが、できるだけワープロで作ってからプリントしてください。レポート作成上も、その方が修正しやすくきれいに仕上がります。
 図表等の引用はコピー(縮小拡大は自由)を挿入または貼り付けてください。引用元の記載は忘れないでね。
5.レポート事前発表会
 19頁に詳しく書いていますが、レポートを出すだけではなく、発表してみんなとQ&Aもしたいという人を募り、7/21に事前発表会を行います。そのため、来週(6/16~22)をエントリー期間としますので、奮って応募してください。

ディベートの振り返り
  コミスペの前に、前回教室で発言してくれた人たちのコメントカードを紹介しておきます。授業ではディベートの振り返りと私のコメントの後、みんなからも自由にコメントを求め、発言してくれた人たちにその要旨をカードに書いてもらいました。

(高レベル放射性廃棄物の地層処分)
 * 高レベル放射性廃棄物の地層処分をした場合、数千年後にそこに住む人々は、そのことが分からないのではないか。また、何かのきっかけで放射性廃棄物が露出した場合、知らないうちに被曝する恐れがあるのではないかという不安が残されていると思った。この点はフィンランドで最終処分場建設を決定するときに実際に問題視された。(S1)
→ 小泉元首相も2013年にフィンランドのオンカロを見に行ってから「原発ゼロ」を言い始めましたよね。

(原発で働く労働者)
 * 平時の原発で働いている作業員は超高温の汚染された水蒸気が駆け巡る過酷な環境の中で働き、大量の放出線を浴び、大量の放射能汚染物質を取り込んでいる。(作業服は放射線を遮る性能はなく、汚染された物質を外に持ち出さないようにするための使い捨てらしい。労働者は一日の被曝限界を知らせる計器が鳴るのを気にしながら作業をしているらしい。)これまで原発の作業員で労災が下りたのはごくわずかで、また裁判を起こした人もいると聞いた。その人は確か大阪大学の病院で診断書をもらったが人でしたが、裁判で負けていました。原発再稼働賛成の理由に雇用を生み出すというものがありますが、日常的に被曝し、またその補償も十分になされない環境で労働者、それも主に貧しく、社会的立場の弱い人を働かせてよいのか。これを雇用が増えるから良いなどと言えるのでしょうか。(J1)
→ 原発で働く労働者の問題は今日の授業テーマです。よく調べたようですが、平時でも大量の被曝をしているかの印象を与える表現はオーバーですね。

(政府の印象操作)
 * 原発問題について調べていく中で、また木野先生の補足コメントに目を通していく中で、政府の印象操作が怖くなった。たとえば、事故直後に枝野官房長官の放った「『ただちに』影響はない」という言葉。「健康に少なからず影響がある」と言われているようなものなのに、表現の微妙な違いによって国民の動向は大きく変わってしまう。ごまかすことで、国民が忘れた頃には無かったことにするのではないかと思った。メディアの言うことを鵜呑みにせず、国民は多角的に物事を見る目を養う必要があると思った。(H1)
→ パニックになるのを恐れてのことだったのでしょうが、晩発性障害を無視した暴言でしたね。
 (公害の時と同じ)
 * 東日本の原発事故の時の政府や東電の対応が、公害の時の対応と同じだった。支援を早めに打ち切って、負担を軽減しようとしたり、責任を逃れて、問題を先送りにしようとする人たちが推進する計画を信用していいものか。(J1)
→ 水俣病のときのチッソと国の対応と瓜二つと気づいた人が多かったことでしょう。

(原発周辺地域の潤い)
 * 「原発周辺地域が経済的に潤う」― このミクロな視点も持つべき。原発のおかげで雇用が生まれる。国からの補助もある。確かに外側から見れば、地域活性化を促すものだろう。しかし、いざ被害が出た時に、(例えば、原発で働く労働者の被曝が確認されたら)脱原発を訴える市民と雇用を守るためそれを非難する市民とに地域内が分裂するということが考えられないか。これは水俣病が思い出される。そのうちに被害が拡大する。さらに原発は行政に左右されやすいというところも不安が残る。(L2)
→ 今の福井はかつての水俣と似ていますよね。
  以下はディベートを振り返ってのコミスペです。
原発反対
* 今日の講義の内容を聞いたり、前回のディベートに対してのコミスペを見たり、手を挙げて発表している人の意見を聞いて、ここで講義を受けている人のほとんどが原発反対、原発はいいものではないと思っているのだなと思いました。この講義を受けている人のほとんどが原発反対と思っているのならば、世間全般でも原発反対の意見が多数なのではないかと考えました。もしそうだとするならば、なぜ国は原発を停止しないのか、国はもっと国民の意見を反映するべきではないのかと思いました。(T1)
→ この教室の受講生では多分、原発も再稼働もNoの人が多数だと私も思います。メディアの世論調査はアンケートの回答者の偏りもありますが、それでも各社のアンケートではNoがYesの倍近く出ていますよね。こういう世論調査の結果を反映していない国の政策は原発に限らず他にもよくありますが、それは世論調査が国民投票ではないからです。EUから脱退すると決めたイギリスの国民投票のように原発を辞めるかどうかの国民投票でもやれば別ですが、党派ごとの総選挙で選ばれた政権与党は自らの政策が信任されたものとしてその任期中はよほどのことがない限り変更しません。
 もちろん、世論とのねじれが大きく乖離して解散・総選挙となれば前回の信任はリセットされますが、総選挙は個別の政策ではなく全体の政策への投票ですので、原発に対する国民の意思表示がダイレクトに反映されるわけではありません。
 政権と世論のねじれを示すメルクマールとしては世論調査の他に、地方選挙の結果や、裁判による判決の結果などもありますから、それらとの相乗効果で解散の時期が早まることもあります。

政府の対応
* 公害の時と原発事故の時の政府の対応が似ている、という意見に頷けました。なにか問題が起こった時、政府は事なかれ主義というか、動くのが遅いという印象があります。〈C1〉
→ どちらも国の経済優先か国民の生命優先かというところが出発点ですから、前者なら同じ対応になるということですね。

廃炉にもお金がかかるけど
* 話を聞けば聞くほど、原発は廃炉にすべきだと強く感じた。ただ、廃炉に向けての問題点の中で注目したのが、予算の点。1基の廃炉には、5,000億円のお金ががかる。今の日本にそれをまかなえるお金があるとは思えない。だから、廃炉するにもとても長期的なスパンでの計画が必要だと思った。(H2)
→ 廃炉作業というのはもともと運転停止後長期的な計画のもとに行われるものですから、国家予算の中でも長期的な計画の中で処理することになるでしょう。廃炉というのはもともと数年でできるものではなく、長期にわたって取り組まなければならない作業なので、予算も長期にわたります。とはいえ、全部合わせれば莫大なお金がかかるのは避けられませんが、使い続ければ事故の危険は避けられませんよ。

先生はどう考えますか?
* 今や日本は原発再稼働に対し反対のデモが起こるなど、再稼働に反対する意見も多い。
 僕は賛成派であるが、1番の理由は、温暖化が進んでる今、これ以上の温室効果ガスや有害物質の排出は得策とは言えない。
 今まで、原発再稼働について真剣に考えたことが無かったが、今回を期に、様々な賛成派、反対派の意見に目を通して、実情を理解できたと思う。
 先生の観点から、色々な意見を通して、どうお考えになるかということにとても興味が湧きました!(C1)
→ 温室効果ガスの排出が少ないという理由は日本では原発の大きなメリットとして京都会議(気候変動枠組条約締約国会議:1997年)以後、原発推進の大きなキャンペーンとして張られてきました。しかし、その後、ウラン採掘から燃料棒までの処理や、海路・陸路の運搬、原発の建設、事故に対する対策などでも原発はCO2を出していることが指摘され、決してクリーンではないことがわかるや、最近では「運転中は少ない」とトーンが下げられました。さらに、地球温暖化の主因が本当にCO2かという科学論争は今も続いており、科学的にはいまだに確定したわけではありません。さらに言えば、CO2と放射性物質とどちらがすぐに止めなければならない危険物質だと思いますか?というのがその問題に関する私の意見です。

資料集めの難しさ
* 今回のディベートで最も苦労したのは資料集めでした。高校でも少しディベートをやっていたのですが、そのときのテーマと比べ資料の数は豊富でした。ところが、内容が相反する資料が多く、困りました。たとえばウランや石油、石炭の採掘年数。天然ガスにいたっては50年というものから1000年は持つというものまでありました。もちろん、信憑性の低いものは排除したつもりです。そのほかにも発電コスト、日本の電力需要、1kwhを発電するときに排出される二酸化炭素の量など。自分たちの立場に有利な資料を使うのが妥当なのでしょうが、これでは客観的な立論になりません。ディベートでもそもそも用いられている資料が違うために議論がかみ合わず、感情論になっているのを見ました。
 もちろん、算出している立場によって違いが出るのは当然です。しかしそれではメリット、デメリットを天秤にかけることすらできない。こんなことになるのも、「火力」と「原子力」という、結局は物を燃やして熱を発生させ、水蒸気でタービンを回して発電する発電方式のなかで議論しているからであって、再生可能エネルギーと比較するならまた違った話にもなるのかな、と思いました。(M1)
→ Webで検索すれば、さまざまな資料やデータがかかってくるので、戸惑った人も多かったでしょうね。原発に限らず、Web情報というのは信憑性の保証がないので、情報元の信頼度や、その情報の引用度(認知度)から信憑性の薄いものを除け、あとは情報の中身から判断するより他はありません。ディベートで食い違うデータなどが出てきたら、その信憑性と論理的説得漁を述べあい、聴衆に判断してもらいましょう。ま、Webより、図書文献の方が信頼性がありますので、Webでしかない情報は信用しない方がよいでしょうね。
 その種の議論は、再生可能エネルギーでも同じように出てくるかと思いますが、根拠となるデータ自体に幅があったり、技術の進歩等でデータが変化している場合は、比較に注意する必要がありますね。

地方に押し付けられた原発
* 講義ありがとうございました。私は原発が地方に押し付けられていると思います。現に、福島第一原発は東京電力の原発ですが、福島は東北電力管内です。
電力の消費地から遠いところにあると送電の間にロスが出てきてしまいます。効率よく電力を送電するならば、電力消費地に建設するのがよいはずです。しかし、東京や大阪に原発が建てられないのは、原発が危険なのがわかっていて、その害を地方に押し付けたいからなのではないかと思います。そういった差別構造が原発問題の奥底にはあるのではないかと思います。(J1)
→ 原発立地の差別性は以前から指摘されていますが、結局は万が一大事故が起きれば都会は被害が大きいからということにつきます。原発を推進する人は火力発電所でも事故があると言いますが、火電は都会の傍に作っても原発は絶対作りませんよね。わざわざ高い交付金を払ってでも地方に作る意図は明白ですよね。

ディベートの振り返り
* 前回ディベートをして、今回の前半はその振り返りをしてみて、今までよりももっと深く原子力発電の再稼働について考えるようになりました。
 原子力発電の再稼働という1つの問題にも様々な側面があり、その側面1つ1つにメリット、デメリットがあって、物事の深さを実感しました。
今回、いろんな班の意見を聞いたけど自分はやはり現在は原子力発電が必要じゃないかと思います。これから改善すべき点は多々あると思いますが国や企業がやるべきことをしっかりできればなんとかやっていけるのではないかと感じました。(J1)
→ Yes・Noにこだわる気はありませんが、その理由については考察が必要です。立論レジュメ(21班)を見ると、原発がないと電力供給が間に合わないとあるので、多分これが理由でしょうね。私がコメントで小出先生の作ったグラフを先走って見せましたが、今なら原発なしでも何とかやって行けるだけの発電能力があるというだけでは不十分なのでしょうか。現に福島事故後も今まで深刻な停電にはなっていません。しかし今後もっと電力需要が増えればもたないのではと言われればそうかもしれませんが、それは原発を動かしてもいずれ上限が来るのは同じで、結局は無制限な電力需要の社会を変えていかなければ解決できない問題だと思います。そういう意味では、私は原発無くして代替エネルギーへというのも解決にならないと思います。

アイリーンさんの高速増殖炉の講義
 (原子力の必要性を教育する?)
* アイリーンさんの話の中で出てきた偉い人が「教育が足りない」と発言したと聞いたことは驚きを通り越して呆れた。住民がいくら頑張ったところで上の立場にいる者に握りつぶされてしまうのは間違っていると思う。(J1)
→ 国がエネルギー政策に関する国民の意見募集をしたとき、9割もの人がもんじゅに反対となったのをみて、推進側の偉い人たちは考え直すどころか、「国民はまだ原子力のことをわかっていない、もっと原子力が必要なことを教育しなければいけない」と言ったという話でしたよね。確かに呆れる他ありませんよね

なぜ日本では高速増殖炉の開発が続いているのか
* 今回の授業で問題提起された「なぜ日本では高速増殖炉の開発が続いているのか」という問いに関して、日本で産出される資源が非常に少なく、極力国内で手に入る資源は何かと考えた結果が原子力発電所で燃えた燃料からできる莫大な量のプルトニウムであり、さらに、このプルトニウムを再処理できれば、原子力発電所から排出される核廃棄物を削減でき、今までわからなかった最終処分方法の問題も解決できるため、一気に資源の問題と原子力発電所で産出されるプルトニウムの問題が解決できるといった利点が存在するためだと私は考えた。だが、実際は高速増殖炉には安全面でも問題があり、さらにプルトニウムの利用方法が決定しておらず、問題が先延ばしされただけで、何一つとして解決していないように私は感じた。(S1)
→ 高速増殖炉と核燃料の再処理を軸とする核燃サイクルこそは夢の原子力発電を象徴する日本のキャッチフレーズでしたが、そのどちらもうまくいっていません。50年間かけても目途のつかない開発をなぜ続けようとするのか、そこが問題ですよね。

膨大な開発費用
* 今回のアイリーンさんのビデオ講義は、ディベートで原発再稼働賛成の立場になった自分にとって考えを改められさせるものとなりました。最も驚いたのは高速増殖炉の開発にこれまで投じられてきた予算の金額でした。ディベートの際、自分は原発によってその周辺地域の経済が活性化すると主張しました。しかし開発費用の10兆円に比べるとはるかに小さいもので、その10兆円を地方のために使えなかったのかと考えさせられました。もんじゅ廃炉が決まった今こそ、高速増殖炉開発という国策が見直されるべきだと思います。(J1)
→ まさに壮大な無駄使いとしか言えませんよね。核燃サイクルに投じた事業費(高速増殖炉と再処理工場)を国は発表していませんが、東京新聞(2012.1.5)が集計した結果は下図のようになっています。
 もんじゅの廃炉は決まっても、国は高速増殖炉の開発計画は続けるというのですから、どこまで無駄使いが続くのか、もはや経済政策から言ってもストップをかけるべきでしょうね。



 (何十年かかっても無意味とは考えない?)
* 今回の授業で思ったことは日本は何十年かけて高速炉が成果が無かったことに意味がないとは考えない。日本は新幹線にしろ何年の歳月をかけて作ることにしている。その作る過程では色々なことを考慮して、成果のデータもあると考える。その為確かに成果がないと言え、それが無意味であるとは限らないのだ。(L2)
→ どんなものでも開発に時間とお金がかかることは確かですが、プルトニウムによる原発という核燃サイクル構想はすでに半世紀の歳月をかけてまだほとんど電気を作れていません。
 先に吉田さんが今の原発1基を廃炉するのに5000億円かかるそうだから、全部廃炉にしたら予算が大変と書いてましたが、この核燃サイクルに投じた分だけでも20基が廃炉出来るくらいですから、いかに金食い虫かがよくわかります。新幹線がもしこんなに時間とお金がかかるとしたら、国民はゴーサインを出すでしょうか?
未知の真理を探究する科学研究と違って、物を作る開発事業の場合は当初計画に沿った成果が要求されるもので、国家予算を使って底なし沼のようなずさんな事業に意味があるなんてとても言えないと思います。

高速増殖炉は不必要だ
* もんじゅという高速増殖炉があることは知っていたがそれがどのようなものであるかは全く知らなかった。今回の授業を通してもんじゅの問題点、たとえば技術的に難しく実用化には程遠いことや、核兵器を作ることを可能にするものであることや、地震に弱い構造であることや、トラブル続きでほとんど運用されていないことなどを知って高速増殖炉は不必要であると強く思った。また、もし政府が早い段階で高速増殖炉の開発を諦めてそこにつぎ込んでいた予算を再生可能エネルギーの技術開発に投じていれば、より安全で綺麗なエネルギーを今頃使えていただろうなと思う。この点からも費用ばかりかかって危険で実用性がない高速増殖炉は必要ないものだと思う。(M1)
→ うん、たしかに高速増殖炉につぎ込んできた開発費を再生可能エネルギーの開発につぎ込んでいれば世界でも最先端の脱原発国になっていたかもね。核燃サイクルに投じたお金は先に紹介したように10兆円にも上るそうですから、夢物語ではないよね。

高速増殖炉の開発が続く訳
* 政府は原子炉級プルトニウムでは核弾頭を作ることはできないとのべているが、日本は高速炉の技術を用いて今にでも核開発を始めることができることを、核兵器を持っている諸外国にアピールするためというのも、高速増殖炉の開発を続ける理由の一つではないかと思います。政府には安全性や有益性について十分議論した上で開発を続けるかどうか決めてほしいです。(M1)
→ 核開発と高速増殖炉の話は当初から指摘されていましたが、国は一貫して否定してきました。それは原子力基本法の第2条に〈原子力の研究,開発及び利用は,平和の目的に限り,安全の確保を旨として,民主的な運営の下に,自主的にこれを行うものとし,その成果を公開し,進んで国際協力に資するものとする〉とあるからで、この原子力平和利用三原則に反するからです。しかし、いまだに高速増殖炉の開発にしがみつくのは、とても経済的な理由とは考えられず、核開発を意識しているからではないかと疑われるのもやむを得ないと思います。

平和とは
* ここ何週間か原発や核兵器についての内容に触れる機会が多く、とりわけ今日はアイリーンさんの訴えが心に響いたので、自分なりに、なぜ日本は高速増殖炉を使用し続けるのかについて考えてみました。私は、日本は核兵器を保有したがっているとまではいかなくても、すぐに核兵器を製造できる状態にしておきたいのではないかと思いました。つまり、戦争をしようと思えばできる状態にしておくということです。
 想像以上に、日本が戦争に近い位置にあるのだと思いました。私達は日本がどのような方向に向かおうとしているのか、しっかり考えるべきだと思います。(N1)
→ ウラン型原発すら岐路に立たされているのに、高速増殖炉が多額の国費を浪費しながら開発を辞めないのはどう考えても理解できませんよね。だから核兵器製造の野望を持っているのではないかと疑われるのですが、明確に否定しないところが嫌疑を生むことになっています。今さら核兵器を持ってもどうするのでしょうねえ。北朝鮮と同じ道を歩むのでしょうか。
 (その場しのぎを続けてきた高速増殖炉計画)
* プルトニウムという言葉自体、予習をしたときに始めて聞いて、日本の政府が現実味のない核燃料を再利用しようという計画を莫大な予算をかけて進めているということを知って驚きました。また、水俣病やマンガン中毒のときと同じで、政府に都合の悪いことには平気で嘘をついて、そんな態度が全然変わっていないし、その場しのぎで嘘をついても後からバレて余計に最悪だと思います。(J1)
→ 日本が戦後、アメリカのアイゼンハワー大統領のAtoms for Peaceの国連演説(1953年)を受けて中曽根議員(後の首相)が原発開発に乗り出したのは翌年ですが、高速増殖炉の開発を目指す動力炉・核燃料開発事業団が設立されたのは1967年です。それ以後、実験炉「常陽」を経て1983年から原型炉として「もんじゅ」の建設が開始され、94年に臨界に達しましたが、翌年ナトリウム漏れ火災事故を起こして止まったままというのが現状です。なんという長いその場しのぎなんでしょうね。

高速増殖炉計画について
* 昨日の授業の後、h28 12 21 付の原子力関係閣僚会議の報告書を閲覧しました。その内容の中で気になったのは、技術面では事故後の処理等の蓄積が見られ、その活用が期待できる。けれども、規制基準を満たせない、今後の実験には相当額かかるから もんじゅ はやめだ、ということです。
 しかし、もんじゅに代わる新しい増殖炉でも、実用化にむけた運転の段階でもんじゅと同じような過ちを繰り返し、かえって非効率で危険な状態をもたらしかねないように思われます。
  新たな高速増殖炉を作るのは一旦中止して、もんじゅの事故の原因究明や予想される問題の対策を練るのに専念することが、将来増殖炉を実用化するのだとしたら必要なプロセスだと考えました。(J1)
→ 技術開発のプロセスとしてはそれが常識ですよね。でも、高速増殖炉は本当に必要なのかどうかの国民的議論もないまま進められてきた開発の必要性そのものが先に問われるべきでしょうね。

日本と核兵器
* プルトニウムは核兵器の材料であり、自然界になく、まさに人間が生み出したものである。そして今の時代、多くの国では核兵器を材料さえそろい、作ろうとする意志があれば作れる時代である。この事実は今まで知らなかったけど、日本は唯一の被爆国であるので、核兵器に関することには敏感で、核兵器の材料なんて持っていないものだと思い込んでいました。けれど実際は将来の世界のエネルギー供給に何の役にも立たないプルトニウム利用法を開発しようとしているし、それには大量のプルトニウムを扱っている。さらには、世界で核兵器をなくすためのリーダーシップを放棄しているということだと。これを知って悲しくなりました。日本は何をしてるんだろうと、もう二度とあの悲劇を起こさないためにも、先陣を切って核兵器断絶に力を注ぐべきなんじゃないかと思いました。日本がこんな状況なのに世界中から核兵器をなくすことは可能なのでしょうか? (J1)
→ 本当に暗澹たる気持ちになるのは同感です。広島・長崎の被爆国である日本は戦後、世界に核廃絶を呼びかける先陣を切りましたが、「平和利用」というまやかしで核の存続に手を貸したことは事実です。私は日本こそ核廃絶のリーダーになってほしかったと今も思っています。国レベルでは一朝一夕ではいかないでしょうが、市民レベルででも核廃絶の思いを広げなければ本当に悲惨な結果を招きかねませんよね。

ビデオ講義を見て
* アイリーンさんは原子力発電の危険性を知り、多くの人に知ってもらおうと訴えていたのに原子力発電を止めることはできず、その後福島での事故を知ったとき本当に辛かっただろうと思いました。
  私は再稼働に絶対反対の立場ではありませんでした。原子力発電による経済的利益、電力の安定供給、低コストであることなどを信じていたからです。しかし、この授業を受けてその考えも揺らいできました。利益よりも安全性を優先すべきこと、そもそも利益はあるのかということを考えるようになったからです。まだ原子力発電に関する知識が少ないため、もう少し調べてみようと思います。(J1)
→ わたしはもともと理学部物理学科出身で、それも宇宙線物理学という分野にいましたから、放射線はお隣さんという感じでした。しかし、当時は広島・長崎の被爆による核実験反対運動が盛んな時代でもあったので、私自身は核や人工放射線を使って何かするということに魅力を感じず、宇宙からの自然放射線の観測に飛び込みました。その時点では、原発のことはよく知りませんでしたが、物理学者の中から原発と原爆は同じ原理だから使い方を誤れば危険という声が高まりました(cf.武谷三男『原子力発電』岩波新書、1976年)。私が原発に未来はないと思ったのはそれからで、最初から原発Noだったわけではありません。なにごともまずは自分でよく考えてみることですね。

続く高速増殖炉計画
* 高速増殖炉の計画をやめない理由はおそらく今までにかかった費用に見合うだけの成果が得られていないのでやめるにやめられない状況であるのだと思った。ただ、早く他の成果が得られそうなもの、たとえば再生可能エネルギーの研究など、新エネルギーとして期待されているものの研究に変えた方がいいと思うし、続けてもただ費用がかかるだけになると思った。(T1)
→ やめるにやめられない理由は、まさに津崎君の言う通りです。ただ、国費を使っているのですから、計画通りにできないときはきちんとけりを付けてやめるか再検討するべきで、ずるずる半世紀も引きずることは許されません。なぜなら、半世紀もの間に関係者は何代にもわたって交代しているからです。責任者は自分の任期中にどこまでできて何ができなかったのかを総括してから後継者にバトンタッチすべきですが、このけじめがないまま、いつまでも当初の核燃サイクル構想が引き継がれたことが大問題だと思います。つまり、責任のありかが問われないように仕組まれてきたとも言えます。

高速増殖炉にこだわるのは?
* もんじゅの計画は何年も先延ばしにされた結果、停止することになり安心しました。しかし、また新しい高速増殖炉の計画を立てることになったと知り、残念に思います。やはり、政府は高速増殖炉が最も適した計画だと思っているのでしょうか。高速増殖炉を建てることによって原子力発電所の存在と日本が核燃料を持っていることを正当化しようとしているように思えました。高速増殖炉に多額の金額をつぎ込み、なんとしてでも成功させようとしている背景には核燃料を持っておきたい気持ちがあるのではないかと考えました。(J1)
→ ここで核燃料というのはプルトニウムということですよね。核爆弾になる原料物質とでも言った方が正確かな。
 (被爆国とプルトニウム)
* 今回の授業では、前半に前回の授業で行ったディベートの振り返りを、後半にアイリーンさんのビデオ講義を受講しました。
 私たちの班は原発稼働に賛成する班で、自分の持っている本来の意見とは違う意見を主張しなければならなかったので、準備の調べ物をするのに苦戦しました。高校の時も一度授業で扱われたことがありますが、改めてディベートを行うことで、論理的思考力などたくさんのスキルを養うことができるとわかりました。
 プルトニウムについては、被爆国として日本が担うべき役割と、今の政府が決めている方針にすれ違いがあることが一番の問題点だと感じました。(J1)
→ 高校のときよりもたくさんのスキルを養えたようでよかったね。
 日本は昨年10月に国連で採択された核兵器禁止条約に向けた交渉を2017年に開始するよう求める決議案に反対しましたが、これも唯一の被爆国としてはおかしな話ですよね。アメリカが「核の傘」の抑止力に悪影響を及ぼすと主張し、同盟国のNATO諸国やアジア諸国に反対投票と交渉不参加を呼びかけたとのことですが、「核の傘」のもとで核原料を持つ国ならではの不可思議な態度です。(下図参照:朝日)



中立的な視点で意見を聞けるように
* アイリーンさんの講義を聞き、高速増殖炉に関して持っていた曖昧な知識の意味が分かり、この問題の理解の最初の一歩になりました。しかし、もっと冷静な語り口で対立意見の根拠などを客観的に提示してほしいとも感じました。ただ、この問題に関する肯定派と否定派の争点を少なくとも否定派の目線から知ることができたことの意義は強く感じます。
 そのことと関連して、ディベートにおけるオブザーバーの役割と責任も見直しました。オブザーバーが扇動的な表現に評価を左右されるのでは、主張者は客観性を求めるよりも表現を凝らすことに時間を使うことになり正しい意見を主張することも評価することも出来ない、またそれと同じことが学問的な問題や社会問題についての議論、政治演説などの聴衆に対しても言えるため、教育的ディベートとは意見の主張者と同じくらいその評価者に対しても教育的であり、そうあるべきものだろうと考えます。(L3)
→ それぞれの意見に関してですが、「中立」は基本的にないのではと思います。人は問いに対しYesかNoかを判断するために、様々な情報を整理し、考察しますが、まだ判断に辿り着かないので「保留」というのはあっても、「中立」というのはどうでしょうかね。
 平尾君は「中立的な視点で」と書いていますので、意見を考える前の話だと思います。多分、いきなり先生の意見を押し付けるのではなく、他の意見も紹介した上で、先生はどう考えているのかを述べてほしいということかと理解しましたが。それでよろしいですか。私自身はそういう講義のやり方をしているつもりですが、アイリーンさんは教員ではなく、高速増殖炉や核燃サイクルを批判してきた実践家ですから、授業ではその立場からの意見を紹介してもらうためにお呼びしたゲストです。聞く側としては中立的な視点で聞きたいので推進側のゲストも呼んでほしいと言いたいでしょうが、「朝まで生テレビ」みたいな授業はできませんから、後は自分でフォローしてください。
 ディベートでのオブザーバーによる評価の仕方については私も注意しましたが、感情や扇動に流されず、論理的な判断と客観的な論証ができているかどうかで評価しなければなりません。初めての人も多かったのでやむを得なかったですが、これで慣れてくれればと思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿